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さらば箱舟のTnTのネタバレレビュー・内容・結末

さらば箱舟(1982年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

 「100年経ったらこの意味わかる!」。...2082年まで生きて見返したい。

 ガルシア・マルケス「100年の孤独」原作。そして寺山修司遺作。この目一杯のノスタルジアに触れ、あぁ、寺山はほんとにルーツへの想いが半端ない人なんだなと。詰まる所、彼は戻れない原点、故郷、それゆえの母を、幼少期を、忘れられないのだ。

 作りの手堅さは、同時代の鈴木清順あたりへの対抗馬意識もあったのかもしれない(原田芳雄のキャスティングなどからも)。明治大正の独特なアングラ世界観のルーツは映画でいったら「田園に死す」あたりが元祖なのではないか?大島渚の「愛のコリーダ」のルーツもそのように思える(そもそも松田暎子は元天井桟敷劇団員だったのか!)。逆に、寺山の「上海異人館」のハードコア・ポルノ描写は、「愛の〜」への解答だと思われる。にしても今作もかなり情事が多く、これこそ人間だろぐらいの感覚で描いてる。だからこそ結ばれない主人公2人の切なさと、その狂気が物事を進めていくのだ。

 画面の色彩。極彩色に彩色されがちな寺山の画面だが、今作は全て紫ベースだ。そして至る所に配置される差し色としての赤と青。この二色があっての紫色なわけで、何かの象徴なのだと思われる。今作での結び付けない主人公捨吉とスエの関係性を赤と青に二分したとも言えれば、血縁が大きな題材であるわけで動脈と静脈のような意味合いとも取れそうだ。感覚的に見えて寺山作品は意外にも組み立てられたものであると考えている。その他緑色の画面なんかも夢の色として描かれているし、夜逃げでの闇にぽつんと浮かび上がる白黒での表現も見事。

 物事は少しずつ変化していく。捨吉の物忘れ、住人らの集団睡眠、本家への来訪者、広がる穴、時計売りによる混乱、暗黒ケチャなるひな祭文(フェリーニもびっくりなシーン!)、森の精霊(美…)。これらが後半になり結びつくようで結びつかない、しかし確実に変化の兆しを見せ、狂気的に見える。しかし今見てきたのは、時の流れに翻弄される人々の出来事でしかなかったのだ。みんなが狂気に包まれてると思ったが、ただ時代が変遷していくだけだったのだ。時代の変化とはちょっとした狂気がはたらくと言わんばかりに。文明開化で電気も通りだし、本家の”時”の管理の役割もブレ、金が物言う時代(資本主義)に突入したのだった。時代って変なものだ、価値観が変わっていくわけで、それは狂いの一種と言えるかもしれない。また捨てられていく田舎というのは、青森の土着から東京へ来た寺山の悲壮感だろう。

 スエ「切られた髪も生きとるとです」
この台詞だけでもこの映画の怨念っぷりは理解できるだろう。そして終盤で巨大な穴を前に、村に残されたスエが黄色い花の散る中もはや絶叫で聞き取れないほどの嘆きと恨み節と「100年経ったらこの意味わかる!」という第四の壁崩壊(感情をガンガン煽られ、寺山の遺言にすら聞こえてしまう)は、寂れてく故郷生まれの寺山から見た、発展ばかりの東京への怨念なのだ。ここの小川真由美の狂気とアジテーションの切り替え演技のジェルソミーナ的不安定さと迫力が凄い。総じて悲壮と怨念が形成したノスタルジアだったのだ。また結ばれない2人の狂気が伝染したようにも思え、これまた怨念だなと。
 
 この後がまた切ない。さっきまでの村の人らはうってかわって現代に、一切がすでに町で別人として溶け込んでいるのだ。米農家か、学生か、海外かぶれなマダムか、レストランで食い逃げする男か、それを追うウェイターか、それか娼婦か。みなどこか堕落してしまったし、お互いを知らないのだ、別人だから。陳腐になった立場だが、「集合写真が来たぞ!」となればみんな集まってくるその感動、あらゆる確執を超えて結ばれるエモーション、100年の時を超えてるというのもまたグッとくる。そして写真を撮ればあの頃の姿なんだよ…。

 ここにあるのは眠れる日本のルーツを呼び覚まされる感覚だ。最後に現実にリンクさせることで、観客にもリンクしようとしている。私たちは先祖代々同じ肉体を演じている。我々は孤独だが、誰かと誰かの間に生まれた誰かの人生を分け与えられた生き物で、それは真に孤独ではないことを言う。ここにある血縁や先祖に、これほどナショナリズムを排した、政治利用されてない物語を感じれるありがたさ。東京生まれ東京育ちで、帰郷という概念も無い核家族の自分にとっても響くし、そして大方の現代人にとっても見るべき作品だなと。私は既に誰かの人生なのかもしれない。

 演劇が再演可能な中、映画は定着した過去として語りかけてくる。寺山は映画のその圧倒的な過去性にいつもノスタルジアを詰めていたのだ。

P.S.
ミニSLに乗る原田芳雄良い、死んでも飄々としててかっこいい。

J・A・シーザー音楽最高すぎてサントラ買った。ねんねこどっちゃん、亀の子どっちゃん♪
ラストの郷愁誘う音楽も良い。

現代美術家の宮島達男の数字がカウントされてくあの作品、今作の時計のやりとりが元ネタだったりするのではないだろうか。彼自身最初の芸術のキャリアはパフォーマンスから始まったそうだし、寺山の演劇から影響を受けていた可能性あり。
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