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裁きは終りぬの一人旅のレビュー・感想・評価

裁きは終りぬ(1950年製作の映画)
5.0
第1回ベルリン国際映画祭金熊賞&第11回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞。
アンドレ・カイヤット監督作。

【ストーリー】
薬学研究所に勤める女性エルザは、愛人である研究所長ボードレモンを安楽死させてしまう。ボードレモンは癌であり、安楽死も彼の提案だった。しかし、ボードレモンの遺書にはエルザへの多額の現金譲渡が記されていた。ボードレモンの家族はエルザを殺人罪で告訴したため、7人の陪審員が彼女を裁くことになった・・・。

客観的事実に基づいて被告を裁くべきだが、陪審員の主観を完全に取り除くことは不可能だ。
選ばれた7人の陪審員はそれぞれ個人的な事情を抱えている。
陪審員の一人、犬好きの老婦人はエルザが犬嫌いであることを知る。それだけでエルザに対してマイナスイメージを持ちかねない。犬と殺人は全くの無関係であるのに、裁判の評決に影響が及ぶ恐れがある。
愛する妻に裏切られた農夫は、女性への憎悪を抱くかもしれない。これもまた、エルザの事件とは何の関係もない。
愛国主義の男は、エルザが無宗教であり外国人であることを非難する。エルザの生まれ育った背景と今回の事件には関連性が見当たらない。

結局、正義など十人十色、人それぞれなのかもしれない。もちろん、二次大戦時のナチのような画一的な正義は危険だ。だけど人が人を裁く裁判においては、陪審員それぞれが主張する正義がバラバラであることも大いに問題がありそうだ。この映画を観ながら、自分も陪審員の一人になったつもりでエルザの行為が罪になるのかならないのか考えてみた。自分がエルザに下した評決は、7人の陪審員が下した評決とは若干異なっていた。でも、自分は客観的に事件の事実を考慮したつもりでも、無意識の内に感情論が持ち込まれていても何ら不思議はないし、限られた時間の中でエルザの全てを理解することなど不可能に近い。個人が持つ正義観とはそのくらい曖昧なものだ。評決に多数決の原理が採用されている時点で、絶対的正義ではなく妥協的正義だと思う。
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