ちょげみ

言の葉の庭のちょげみのレビュー・感想・評価

言の葉の庭(2013年製作の映画)
4.6
あらすじ
 靴職人を目指し日々学費稼ぎのためのバイトと靴の勉強に励む主人公タカオは、雨の日の午前中だけ新宿御苑のある東屋で学校をサボる習慣を持っていた。
ある雨の日いつものように東屋に向かうと、ビールを片手に物思いに沈んでいる年上の女性が座っていた。二人はひょんなことから話すようになり、雨の日の午前中だけ東屋で同じ空間を共有するという不思議な関係になっていく。


 2013年公開の新海誠によるアニメーション映画。君の名はで大きくエンタメ作品に舵を切る前に作られた文学的要素の強い作品です。

 新海誠の代名詞と言える透明感あふれる綺麗な映像に加えて、27歳の女性教師(元)と15歳の男子高校生という普段街中で出会うことなど決してない二人が東屋という特殊な空間でお互いに足りないものを埋め救われていくというストーリー、タカオが感情的になり全てをぶちまけり感動的なラストに繋がっていくシーンなど個人的に好きな要素てんこ盛りなので梅雨の時期になると見返したくなる作品です。


 この作品では二人が切実に欲しがっているものをお互いを補完して、それぞれが一人で歩いていくことができる活力を得るまでのプロセスを、雨を含んだような湿度と甘さを含みながら語っています。

 タカオにとって欲しかったものはおそらく母親的存在です。彼の母親は自由奔放で通常の母(親)としての役目は少しおざなりになり、代わりにタカオが家族の中で母親的存在を務めています。
そんなタカオは雪野さんに会い彼女に母親的面影を見ています(求めています)。
それは仕事、靴、ビールなど母と雪野さんの共通点が作中で幾度も強調され、東屋で眠りこけた時にタカオが靴職人を目指すキッカケになったであろう母との大切な思い出の夢を雪野さんの隣りで見ていたことなどから推測できます。

 一方で雪野さんが欲しかったものは自分を支えてくれる人の存在です。彼女は職場で理不尽な嫌がらせを受け味覚障害(?)になり精神的にもだいぶ追いやられて休職、退職の憂き目に合わされています。
しかし元カレは辛い時には彼女を信じて寄り添ってはくれず、友人も社会人のため多忙を極めており助けを求めるわけにはいきません。
だから彼女は違うコミュニティの人間に支えと救いを求めていたのですが、偶然にも新宿御苑であったタカオがその役割を担うことになります。

そして二人が互いに求め合っているものを互いの素性を知れたあの瞬間だからこそ分かち合うことができ、互いの胸中を吐露し溜め込んでいた感情を爆発させるあの感動的なエンディングに繋がっていくわけです。


 何よりこの作品において私が一番これはオシャンティやなぁと感じるところは嘘と本当の配分でこれがまあ素晴らしい..
 雪野さんが「私はウソばかりだ...。」と言っているように作中では二人とも心の根幹に関わるところやあまり触れられたくないところはお茶を濁したり嘘をついたりとにかく本当のことを言いません。
しかし二人が互いに送った短歌でだけはほんとの気持ちを伝えています。短歌以外では嘘と少しばかりの遠慮で彩られていた二人の会話ですが、ラストシーン手前のバケツがひっくり返るような大雨で二人の嘘は洗い流され、そして感動のシーン(何回言うんだよ)に繋がっていく。あの構成には思わず目を見張りました。


 あとはこの作品では雨が随分肯定的に描かれているため視聴後にちょっぴり雨のことが好きになります。
 タカオは雨は空の匂いを連れてきてくれるから好きだ(意訳)みたいなことを言っていますが、おそらく彼が雨が好きな理由は他にも二つあるんやないかなぁと邪推します。

 一つ目は雨は平等に誰の上にも降りかかる民主主義的要素があって、そこが好きなんではないのかと。タカオは15歳の少年にしては多くのものを抱えていて、鬱憤を溜まっています。(もちろん誰でも多かれ少なかれ悩みや苦しみはあるだろうけど)
そんな人より多くのものを背負っている彼ですが、雨だけは誰でも平等に均等に降り注ぐ。そんか雨の性質が彼にとっての救いになったんではないかと。

 二つ目は雨は自分と周りを断絶する要素を孕んでおり、そこに惹かれたのではないかと。タカオは靴職人の夢を誰にも心から応援してもらえず、雨の午前中は学校をサボるように学校行きたくてたまらない元気溌剌な少年ではありません。それに加えて自分の部屋が兄貴が容易に入ってくることができるという理由から(同じ部屋?)彼だけのパーソナルスペースが必要だったんではないかと思います。そして雨は強制的にパーソナルスペースを作ってくれて一人だけになれる、だから雨を待ち焦がれていたのではないかと思いました。

そして偶然にも彼の雨の日限定のパーソナルスペースである東屋に雪野さんが侵入してきて、パーソナルスペースを必要にしていたタカオは逆にパーソナルスペースに雪野さんを入れることで救われていきます。
そんな天気に彼/彼女たちの内面を投影させて、それを私たちが覗き見するというどこか胸の高鳴りを感じながらちょっとした背徳感も感じると言う設定がこの作品の1番の醍醐味であると思います。
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