古川智教

ドリーマーズの古川智教のレビュー・感想・評価

ドリーマーズ(2003年製作の映画)
5.0
映画は常に映画からの失墜を描いてきた。失墜した先が路上=現実であり、路上=現実から養分を吸い取って、路上=現実へとその力を波及しようとしてきた。しかし、もし映画が映画から路上=現実へと失墜するまでの間、その過程を描き出したら、どうなるか。ベルトルッチの野心的な試みはここにある。オープニングの天からの下降の後、マシューがイザベルとテオと出会い、三人で同居を始めるときのエレベーターの上昇は「天=映画の始まりであり、映画そのもの」と「地=映画の終わりであり、路上=現実」との中間層でこの映画が展開していくことを示している。当然、この中間層では過去の映画からの引用と物真似と罰ゲームを伴うクイズが一緒くたになり、双子の姉弟の近親相姦と外国人との恋愛が綯い交ぜになっていく。イザベルが今が永遠に続いて欲しいと願うのは、この中間層が映画と観客にとっての楽園であるからだ。映画はその本性からして、意志的に路上=現実へと失墜していこうとするが、「ドリーマーズ」においては失墜はイザベルが永遠=死を果たそうとするときに路上=現実から投げ込まれた石によって受動的に行われる。映画が路上=現実を掴んで離さないのではなく、路上=現実が映画を掴んで離さないのだ。
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