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ドリーマーズのどぅぐのレビュー・感想・評価

ドリーマーズ(2003年製作の映画)
3.9
「街が部屋へ!」

終盤にイザベルが放ったセリフに、
ベルトルッチ監督は、この作品の全てを凝縮して詰めたと考えた。

''街''が比喩しているのは、
パリの社会で、
「いま外で起こっている現実」のこと。

そして''部屋''というのが、
2人(姉弟)の永遠を指しているはずだ。

つまり、あのセリフには、
「社会という現実が、2人の夢(永遠)に入り込んできた」という意味が込められているのではないだろうか。

入り込むには、2つの間に''穴''を開ける必要があって、
映像では、透明のガラスのような''何か''が飛んできて、窓を突き破った。
比喩の構造を捉えると、
夢と現実の境界線を突き破った''何か''の正体は、主人公マシューだと導ける。
マシューは、放蕩を繰り返す2人に対し、社会に目を向けさせようと何度も諭していたし、処女であったイザベルの初めての相手となったこと(挿入=突き破る)にも、単なるエロスではない、明確な意味が生まれる。

Dreamerという単語を辞書で引くと、
[夢追い人]と、もう1つ、
[夢想家]という意味が出てきた。

夢想家とは、実現できそうにない事ばかり考え、幻想の世界に逃げる人のことだ。

無論、この作品は、後者の意味で、
「The Dreamers」ということなのだろう。

ここより先は、気になったこと↓

家族が小ブルジョワ階級(資本家と労働者の間に位置する中間層)というのが、
2人が特殊な視座を獲得した背景に繋がっているような気がする。

姉弟が性愛よりも、高次元な精神的な結びつきを大事にしているというのは、
プラトンの『饗宴』にある
肉体美よりも魂の美の方が、上位の尊さだ。
という考え方が関係しているのかもしれない。

マシューとイザベルの行為中、
テオが、卵をフライパンで焼くのは、
ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』から着想を得ているはず。
バタイユに最も影響を与えたマルキ・ド・サドが、2人のセリフに数回出てくるのも、監督の思想の反映か。
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