ぷかしりまる

ウォー・レクイエムのぷかしりまるのレビュー・感想・評価

ウォー・レクイエム(1989年製作の映画)
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もし自らの分からないことをつまらないものとして切り捨てるのなら、今作はそうであろう。ただしこれは視聴者が英語話者かつキリスト教信者であることを前提としているため、自分は分からなくて当然だと思った。
目に映るのは白昼夢のような物語の断片。そこでは美しい構図に加えて、演劇的要素(効果的なパントマイムや身体を駆使した抽象的表現)が随所に見られる。つまりストーリーが殆ど無いものの、視覚的情報量が多いため観客は画面に集中する必要がある。そしてそれと同時に、その映像を理解するためには全編を通して流れる重厚な鎮魂歌(詩的でありキリスト教と密接したテーマのもの)を同時に捉える必要がある。そのためには英語を瞬時に耳で理解でき、聖書に通じている必要があるが、私はそうではない。そのために面白みがないという感情を抱いた。ストーリーのない難解なミュージカルを見ているような気分で、途中何度も睡魔に襲われた。もはや観ている映像が自分の夢かこの映画かさえも分からなくなった。
浅い理解のなかで自分が考えたのは、今作が全ての戦死者へ捧ぐ鎮魂歌であるとともに、その魂が最後の審判で天国へと行けるための祈りであるということ。
序盤でティルダ・スウィントンが目を潰すようにして死者を哀悼するシーンがあるのだが、中盤において視聴者も思わず目をつむりたくなるだろう。実際の戦死者の遺体が映像として流れるためだ。私は脳味噌が頭蓋骨から飛び出している死体を目にした。あまりにも突然のことで嫌悪や怒りよりも先に驚きがやってきて、その後とても落ち込んだ。デレクがこれを揷入した意図や、そもそもこれを撮影した意図を問いたくなったが、もし自分が戦地にいたとすると、この地獄のような光景はおそらく日常のワンシーンになってしまっていたのだろうと思った。しかし名前も知らない男の死体、その脳味噌は出来れば見たくなかった。本当に見たくなかったけれど、私たちが見なくて済んでいるのは、今現在戦争に巻き込まれていないからだ。全ての戦争に巻き込まれた人間、地獄を経験した人間のために祈ることは、安らかな眠りである。