フジタジュンコ

神さまがくれた娘のフジタジュンコのレビュー・感想・評価

神さまがくれた娘(2011年製作の映画)
3.4
「バーフバリ」のデーヴァセーナが強気な女弁護士・アヌに転生しているので、「もうこいつらの首を刎ねちゃってください!!!!」と心の中でずっと呼びかけていました…しかし舞台は現代の法廷なので、穏便に暴力で済ませず、議論なんて野蛮な行為に終始しています(ポプテピピック)。

この作品の元ネタとなった「アイ・アム・サム」は未見ですが、「父親と娘」なんて全世界が泣くしかないテーマなので、わたくしもまんまと泣かされました。と同時に、大人たちの身勝手さに辟易もしました。ニラーを取り囲む「健常者」の大人たちがだれひとり、彼女にとっての幸せが何なのか、を考えてくれないのです。クリシュナの選択も、彼なりにニラーを精一杯考えてのことでしょうが、これによって傷つくのはほかでもない、ニラーなのに、誰も彼女の気持ちを慮らず、自分たちの都合だけしか考えていません。

そして…見ながら本当に解せなかったのですが、クリシュナは本当にニラーの父親なんでしょうか? 知的障害のある男が、健常者の女(ニラーの母)に利用されただけなのでは、という疑念が拭えません。
6歳レベルの知能しかもたない男と、有力者の娘でありおそらく十分な教育を受けたニラーの母(妹のシュヴェータも、何の能力も語られないのに、教育機関の事務局長を「父親の威光で」勤めることができるのです)が、一般的な認知の男女のように結婚に至り、性行為をするとは考えづらいでしょう。ニラーの母はクリシュナと出会った時点ですでに妊娠しており、不倫などの事情があり父親を明かせないがゆえに家族たちの前からクリシュナとの結婚に反対されたという口実をつくって姿を消し、クリシュナを利用しただけなのでは?

クリシュナが子をもつに至った経緯だけでなく、裁判も含めて、「よく考えたらこれ感動したらアカンやつなのでは?」という邪念がチラチラして泣きながら賢者タイムを迎えるという不思議な経験をいたしました。素直に感動できない私の心が穢れているだけかもしれません……デーヴァセーナ様、私の首を刎ねちゃってください!!!