Ricola

親密さのRicolaのレビュー・感想・評価

親密さ(2012年製作の映画)
4.0
人は他人とコミュニケーションをとるとき、本音と建前を使い分けているのは言うまでもない。
だけど対話の様子をよく観察したら、実は本音が見え隠れしていることもある。
また、心を閉ざしていた人が心を開く瞬間に、人と人の間に新たな何かが生まれ、関係が変わることだってある。

そんな繊細で流動的な「関係性」に真摯と向き合った濱口監督は、この作品だけに限らずだが、作中劇を「リアル」と連動させることで人の心を浮き彫りにするのだ。


演劇を制作しているカップル。
彼らの日常や関係の変化が主に前半で描かれ、後半の大半を占める演劇のシーンにおいてその「続き」と本音が示される。

「言葉は想像力を運ぶ電車」という詩が、作中で何度も繰り返される。
電車は繰り返し登場し、作品の重要なモチーフであることは明らかだろう。
同じ方向に向かう2つの電車というよりは、駅のホームや途中の経路ですれ違う電車のように、令子と良平らの気持ちも合わさったりすれ違ったりし続ける。

社会や世界がガラリと変わるきっかけが起こったとしても、その境目とは決してしっかり線引きされているわけではない。
それは人間関係においてもそうなのではないか。いくら言葉では線を引いたと宣言し、お互いにそれを認識したとしても、心や実際の関係性はグラデーションを帯びて徐々に変化していくものなのではないか。

そういった移ろいゆく変化と境界が、ゆっくりと映し出されるシーンがある。
それは東京から神奈川へ、多摩川沿いを歩いて越えていく二人が長回しで映されるシーンであり、言うまでもなく名シーンだろう。
都と県の境は明確に定められてはいるが、このシーンではそれ以外の境界をも越えていくのだ。真夜中からどんどんと夜明けへ向かっていく。深い群青色から、だんだん薄い青へと光を伴った空に変わってゆく。
だただ隣で歩くなかで少し近づいたり離れたり、途中で手を繋いだりするなど、二人とも「越えていく」ことを意識しているように感じられる。
つまりこのシーンでは、単に地理的な境界というだけではなく、二人の心情のもつれ合いや夜から朝という、さまざまな境界を越えることを意味している。

東京のどんどん変わりゆく光景が年月の経過とともに作中でちゃんと描かれている。
渋谷や武蔵小杉の再開発、そして東横線渋谷駅のホーム。(旧ホーム懐かしい)
それから東日本大震災。人が変わる以上に街が、都市が、そして国が変わらざるを得ないのだと、しみじみ感じさせられる。

社会でさまざまな人がおり、そのなかで合わない人なんて誰にでもいるだろう。
しかしそんな人々の他の側面、つまり自分の見ていないところでの他の人との関わりなどでは、また違う一面が見えるのではないか。
我々はこの作中劇ではじっくり全てを観察できるため、人間の複雑さや関係という脆くて曖昧なものを目の当たりにする。

最後に作中劇で発せられた特に印象深い台詞に触れたい。
「好意を向ける相手へかける言葉は全て「愛してほしい」の表れ」
相手のためを思って言っているようで、結局は自分が愛情を求めているから愛の言葉や労りの言葉をかける。
でもそれが相互的なやり取りになれば、お互いに思っていて好意を感じ取ることになるため、恋人や友人関係が成立するはずである。

どんどん変わりゆく世界で、人々はさまざまな関係を築きながらなんとかそれに立ち向かって生きていく。
自分の居心地の良い場所やあり方を模索していきながら、自分も他者も受け止めることの難しさと素晴らしさを思った。
Ricola

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