ベビーパウダー山崎

黄色い家の記憶のベビーパウダー山崎のレビュー・感想・評価

黄色い家の記憶(1989年製作の映画)
4.0
世捨て人のような老人も性欲だけはギンギンにある。痩せすぎた体型に騙されそうになるが、走り出すスピードも持久力も相当ある。その源には、狂った世界のすべてを不条理なユーモアで舐め尽くす極左の抗いと、死への達観。娼婦と母親も愛と憎しも生きるのも死ぬのもすべてが同じ距離から等しく描かれている。切れそうなほど脆い糸のようなものにぶら下がる欲望を追い求めて、人はただ生きている。
掴みそこねた話がそこらじゅうに散らばっている。モンテイロがキチガイ病院から逃げ出すのも、そこに必然や整合性などまるでなく、最初から最後まで、乞食のあてもない与太話、もしくは病に侵された痴呆症の譫言を二時間聞かされたようなものだが、それこそが最も崇高な表現だと俺は思う。混沌ともに今日も、運が良ければ明日もまた生きよう。