昼行灯

赫い髪の女の昼行灯のレビュー・感想・評価

赫い髪の女(1979年製作の映画)
3.9
赫い髪の少女の元ネタ説あるな…👆向井秀徳はこういうちょっと幼くて自分にべったりなんだけど、影のある女性が好きなんだろうなと思います

オープニングの1人で車道を歩く宮下順子がもうかっこいい。大型トラックが行き交う中を自分の足で周りも気にせず歩いているのが長尺で撮られるというそれだけで、彼女がどれほどの過去を背負って生きているのかというのが分かる。そこで石橋蓮司が運転する大型四輪と相対して物語が始まるというのが運命が交錯している感じがあっていい。

結合部を部屋の家具などで隠すというのはポルノ映画あるあるだと思うが本作では、それが2人が身を置いている環境がいかに閉鎖的なものであるかを示しているように思われた。コタツやライトが人物より手前でカメラに映ることで、四畳半の部屋の狭さが際立っている。もう1組カップルが登場するが彼らは青姦しかしなくて、駆け落ちする。この2人は閉鎖的な環境から脱却するという意味で主人公2人とは対照的である。

音が特徴的な本作において、音は欲望を誘う装置として表象されている。雨は石橋蓮司が仕事を早退きする理由となり、彼は部屋に帰ってくる。2人が石橋蓮司の部屋で初めて交わった時、部屋の窓が外れ、雨が室内に降り注いでくる。雨が降り注ぐため窓を閉めようとすれば、宮下順子は石橋蓮司の股間に身をうずめる。
階下の狂った夫婦の喘ぎ声が響いてくれば、それは2人の情交を催させる。狂女の喘ぎ声をひとたび耳にすれば、宮下順子はそれに負けまいと喘ぎ声を出させてくれと石橋蓮司に迫る。薬中の女の声は夫の存在を思い起こさせ、宮下順子にとって恐怖の対象でもあるが、同時に性欲を奮起させるものでもある。

血、そして口紅の赤も女を思わせるモチーフとして効果的だった。石橋蓮司の男性器は常に赤く色づいていたんじゃないか?処女喪失、生理、口紅と、それを厭わず挿入を繰り返すことは性欲だけではつとまらないように思う。ラストで自分から口紅を塗っていたのは少し引いた。夫よりも宮下を愛しているということのアピールだったかもしれないが…

夫と同じ体位で宮下と交わろうとする時の表情は、性欲の表れだけじゃなくて支配欲とか悲しさとか虚しさとか諦念とか色んな表情がない混ぜになってしまった結果だと思った。ほぼ初めて女を愛したけど、その女は自分に夫を重ねているところがあって、夫を忘れることは出来ないけど自分を愛している女にどう向き合うかと言う話なんだよなあ。でも男も男で純愛ではなく、建前から同僚に女を売ってしまったり、そのことについてほかの女からどうせ性欲しかないんだと言われてその女で果ててしまったり、、雨降るなかでのオナニーはなんかオナニーなのに哀愁誘われた💦
昼行灯

昼行灯