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月の寵児たちのmayのネタバレレビュー・内容・結末

月の寵児たち(1985年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

映画の中で繰り返し挿入される、「人類は自然と、古来から狩猟を通じて関わってきた〜」のことば、

「月の寵児たち」は、古いお皿と、裸婦像をめぐるお話なのだけれど、この映画を見ていると、人類のすべての営みは、「狩猟」を中心にある気がしてきた。決して自然、だけではない。

もちろん、古来は生きるために、自然の中で狩猟を通じて食糧を得てきたとおもうのだけれど、この映画で描かれるのは、人類が、文明を築いたあとの、都市での生活。

美しい皿や裸婦像は、お金や権力のあるものの手を、または盗賊たちの手を、渡り続けていく。自然のなかで、狩猟しなくなった人間たちは、美しいものを奪い合い続ける。表面的にはみんな取り繕っているけれど、そこには、いつも欲望や見栄が付き纏っている、

人間の奪い合いの過程で、皿は割れていくし、裸婦像はどんどん小さく切り取られていく。
美しいものの儚さ、と、物が失われていくことに、そこまで固執しない人間たち。美しいものを奪い合っているというよりは、それを所有できる、権力やお金を持っていることに意味があるのかもしれない。「そのもの自体のもつ美しさではなく、それを所有している私」に重きが置かれる。

時折画面がモノクロに変わり、それぞれの物が作られた時代(それぞれの物が大切にされていた時代?)の映像が映し出される。時が経って、その背景を知るものが死んでしまえば、物は、そのような歴史を失い、その価値だけによって、人間の奪い合いのなかで漂い続ける。そして、いつのまにか、その過程のなかで、消滅していってしまうことを思った、


なんだか、考えていることがまとまらなくて、だらだらと書いてしまったけれど、わたしは、物が失われていくことが、とても悲しいと思うタイプ、

古い建物がある日突然こわされたりだとか、だれかのおうちのどこか奥で忘れられていた古い物たちが、その人の死を境に大量に処分されることとか、のような、そういうことが、
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