まぬままおま

月の寵児たちのまぬままおまのレビュー・感想・評価

月の寵児たち(1985年製作の映画)
4.3
オタール・イオセリアーニ監督作品。

文明社会で時流に乗ってもてはやされているヨーロッパ人たち。
友人と社交パーティーをして美味を味わっている。美容室でパーマを当てたり、ネイルをしてもらっている。ロックバンドは音楽がヒットしてテレビ番組に出演している。妻は夫に愛想をつかしているし、夫は妻を理解していないから喧嘩になる。ある男は娼婦を買っている。老人たちは爆弾をつくっている。爆弾は怪しい男たちに売られる。人体実験で人が爆破される。警察官は汚職をしている。強盗が金持ちの家に侵入している。公園では銅像もまた爆破されている。

それらの断片的なショットが断片のままモンタージュされて、映画として現前されている。
そのように考えれば、本作に登場する陶器の皿は月であり、文明社会で映画でもあるし、割られた皿たちは寵児たちであり、彼らの生活の一片でショットの表象だ。ただショットをみても文明社会は復元されないし、修復不可能な亀裂が生じているのが分かる。つまりここで言われる文明社会とは陶器が手作りされた時代であり、彼らが生きる時代では全くないのだ。つまり彼らの生きる文明社会はもはやそれに値するものではないし、文明社会も「月の寵児たち」も野蛮なのである。

絵画もまた強盗に何度も盗まれて切り詰められていく。文明社会は豊かになればなるほど貧相になっているのだ。そんなブラック・ユーモアをイオセリアーニ監督は真顔で語っているのである。

追記
断片的なショットではあるが、連続してみると物語が浮かび上がって進んでいるのが分かるし、ショットでは人々が走っていたり運動している。だから退屈じゃないし、意味が生成されている。素晴らしい。