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昼顔のtransfilmのネタバレレビュー・内容・結末

昼顔(1967年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

ルイス・ブニュエル監督作品。
この映画は、フロイトの心理分析みたいな映画だと思った。
この映画のカトリーヌ・ドヌーヴ(セヴリーヌ)が、なんでこういう行動をとるのか、映画の観客がいろいろ考えて観ないと面白くない映画かもしれないなと思いました。

以下は、自分自身の解釈です。
セヴリーヌの心の中にあったものは・・

1.自己嫌悪 (幼少時代の体験と、夫への不感症)
幼少時代に、性的暴行をうけていた。それで、自分自身を汚らわしい存在だと認識するようになった(教会シーン)
愛する夫に対して"不感症"になってしまうのは、性欲がないからではないと思う(むしろ、性的欲求はあった)。それなのに夫には体を許せないのは、「汚い自分の体を夫に見せたくない。触ってほしくない」という自己嫌悪からだと思った。

2. 満たされない性的欲求
セヴリーヌは夫に対しては不感症なのに、娼館の話にはとても感心を示す。そして実際に娼館で働くようになるのは、性的欲求を満たすためからの行動だと思う。セヴリーヌは幼少時代の体験から自己嫌悪をもっているために、性的欲求がありつつも愛する夫には自己嫌悪が邪魔して体を許せなかった。娼館の見知らぬ相手の場合になると、セヴリーヌの自己嫌悪が阻害しなかった。だから、セヴリーヌが娼館の話を聞いたときは、ようやく自分自身の性的欲望を向ける対象ができた。という反応だったのではないかと思う。娼館で働くようになるのは、自己嫌悪と性的欲求という二つの面が合わさった結果だと思う。

3.娼館で働くようになった後の心情の変化
セヴリーヌは、以前より明るい性格になっていった。
娼館で働く前は、「自己嫌悪」と「満たされない性的欲求」という2つの問題があったけど、娼館で働くようになってからは「性的欲求」のほうは解消されていったと思う。
ただ、個人的には「自己嫌悪」はセヴリーヌの中で解決されるどころか、ますます大きくなっていたのではないかと思う。
昔、興味本位で心理学の本をちょこっとだけ読んだことがあるのだけど、人間って、絶対に受け入れがたい出来事を深層心理の中に忘却するという、自己防衛の機能があるそうです。
セヴリーヌの自己嫌悪は、だんだん受け入れがたいほどに大きくなって、深層心理の中へ押しやられていったのではないかなと思う。
なので一見、セヴリーヌはすごく明るい女性になっていたが、自己嫌悪のほうは解決されてなくて、むしろもっと深刻なものになり、深層心理の中に押しやられていただけだと思う。「子供がほしい」という夫の言葉を聞いたときの反応などからも、セヴリーヌの心の中にある問題は解決にむかってないという印象をうけた。

4. ラストシーン
他の方のレビューをみると、ラストシーンは納得!という感想が多かったのですが、個人的には考えこんでしまうシーンだった。
セヴリーヌの夢は、ラストシーンの前までに何度も描かれていたけど、ラストだけはちょっと意味合いが違うと思う。
自分としては、ラストは「セヴリーヌの心の破滅」を表しているのかなと思う。細かいところまではあまり考えられてないと思うけど。

その他
この映画の他の登場人物で、最も印象的なのは旦那の友人と、その彼女。
セヴリーヌが娼館の存在を知って、そしてどこに住所まで知ったのは、この友人が教えたからだった。
個人的には、旦那の友人が娼館の住所を教えたのは、半分は意図的だと思う。まさかセヴリーヌが働き始めるとは思ってなかったかもしれないけど、彼女から娼館の話を聞いたときのセヴリーヌの様子を聴いていたから、この男はそんな話をしたのだと思う。そう考えないと、夫の友人のセヴリーヌに対する発言は不自然かなと思った。
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