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ジンジャーの朝 〜さよなら、わたしが愛した世界のKOKOHのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

エルファニング可愛いってなって、エルファニングの過去作が見たくて見た。金髪のエルファニングの方が好きだけど、赤毛のエルファニングだとより可愛いさや幼さが強調される気がして、行動や思想は大人なのに精神的には大人になりきれていない微妙なバランスを上手く反映してるなぁと思いました。あと、ほとんどメイクもなく、素朴さがあったので、よりお顔の素晴らしさを感じました…目が好き…
内容としては、よくあらすじそれで通したなアマプラというお気持ち。「冷戦下のロンドン、仲良しの女の子2人が授業をサボって宗教や政治、ファッションについて語り合い、少女から大人へと変わる青春時代を満喫していた」って書かれたら、普通、フォールフラワーらへんを想像しません????本当に観たのか???????????青春時代の一瞬の煌めき💓みたいなものじゃなかった。予想と違いすぎて。予想以上に重い。
どんなに仲が良くても、ローザはキリスト教で神を信じていて、ジンジャーは世界の終末の危機を背負い込んで反核兵器運動の運動家になりたいと願う。お互いの基盤がまず異なっていて、基本的には相容れない。お互い、教会に行ったり集会に参加してみたりするけど、理解は放棄しているというか、理解出来ないものとして、それとこれは別って違う棚に仕舞い込んでいる雰囲気が凄く伝わってきた。そして、ジンジャー、余りに不憫で。
理由は分からないけど、ジンジャーは、核兵器による世界の終末を本気で信じていて。信じているという言い方は可笑しいのかも。その時代、確かに人類破滅の危機があったのだろうし、明日世界が終わるかもしれないという想像が、空想ではなく一瞬で現実になるようなヒリついた危機感があったはずだから。たぶん、それでも、普通の人達はそれから目を背けていきてるんだと思うんですよ。核兵器で人類滅亡の危機は今はなくても、次の瞬間突然死ぬ可能性は誰でもあって、常に人は理不尽な死と隣り合わせというか背中合わせで生きてる。背中合わせにして見ないふりをしなきゃ、怖くて生きていけないから。ジンジャーは、たぶん、死の危機が人類全体で高まっていたのもあるけど、死と背中合わせじゃなくて正面にから向き合ってしまうタイプなんだろうな、と。それじゃあ怖いよね。あそこまで人類の滅亡を全て自分のことのように背負い込めるのは、たぶん、死との根本的な付き合い方もあったんだろうな。と。ただでさえ、死という恐怖にまるで全身の皮膚をめくって晒してズタズタになって、その上で死を回避するために行動しているのに、親友のローザが父親と寝て挙句の果てに妊娠してしまう。キッツ。いや、キッツいでしょ。しかもそれを知った母親がショックで自殺。ジンジャーの精神状態が心配。ローザとのことを告白した時の、エルファニングの演技が凄かった。あぁ、この子はこのまま喋れなくなるんだと思った。言ったら私が爆発しちゃうって言ってたけど、確かに、ジンジャーは時限爆弾を飲まされたみたいな状態だったんだろうなと。吐かなきゃ自分が爆発して死ぬけど、吐いてもボン!みんな死んじゃう。みたいな。本当に惹き込まれる演技力だった。
最後、ジンジャーは一貫して生きることだけを望まんでいたの、胸が苦しくなった。ローザは永遠の愛を望んでいたけど、それは当たり前に自分が生きていることが前提でしょ。ジンジャーはその前提が信じられなくて、たぶん、冷戦が終わってもそれをひたすら望み続けるんだと思うと。詩が彼女を救ってくれればいい。創作している間は、たぶん、一瞬、死の恐怖はフィクションになるから。
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