Ricola

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのRicolaのネタバレレビュー・内容・結末

4.4

このレビューはネタバレを含みます

中年女性ジャンヌ・ディエルマンのある3日間の「日常」が淡々と映し出されているだけのはずなのに、観ていて胸が詰まるような苦しさを覚える。
それでも一秒たりともスクリーンから目を離したくないと強く思わされるのが、この作品の不思議な魅力なのだろう。


ジャンヌの一挙手一投足がほとんど常に定点カメラで捉えられる。
彼女は朝のルーティンをこなしたり日常生活を送るために、部屋を行き来する。
部屋に入る度に電気をつけ、出る度にこまめに電気を消す。これほどの当たり前の動作
も、ほとんど省略されることなくすべてが映し出される。

虚無感、不安感、焦燥感。
ジャンヌは平然と日常を送っているように見えるけれど、実はこれらの感情が常に代わる代わる渦巻いているのだ。
カツレツを作るために小麦粉を広げて卵をといて、そこに広げた肉を入れて丹念に衣を纏わせる。その力強い手つきに、少しの隙間も許さまいという強い意志を感じる。
また、ミートローフを作るための、ひき肉に卵を入れてひたすらこねる動作も一部始終見せられる。この作業においてもやはり、ジャンヌの力加減の緩急と無表情の中に焦りや憤りといった感情を感じる。

また、ジャンヌのこれらの感情の強さは加速していく。
心ここにあらずの状態で料理を失敗して最初からやり直しになったり、靴やカトラリーを磨いている途中でそれらを落としてしまったり。
その3つの感情が高ぶって、ジャンヌの限界点に達してしまったことが確認できるシーンがある。
コーヒーを飲んでいてなんだかピンとこなくて、そこに牛乳を加えてみるけれどやはりしっくりこない。結局もう一度コーヒー自体を淹れ直す。それで牛乳を調節して入れるも、納得がいかなくて全部棄ててしまう。
この自暴自棄な行動には、特に彼女の行き場のない憤りがあらわれている。
不安と焦りに駆られるあまりに、目の前のコーヒーの出来に対して、過剰に意地を張ってしまうのだ。

近所の人から預かった赤ちゃんをあやそうとするとむしろ激しく泣き出すシーンでは、ジャンヌの脱力感と虚無感が見出だせるだろう。
何度繰り返しあやしても赤ちゃんの反応が変わらないため、疲れ果てた彼女は為す術もなく、泣きじゃくる赤ちゃんの隣でただ呆然と佇むだけである。
彼女がソファに腰掛けて一点をぼーっと見つめているだけのショット。
1分以上はその「何も動かない」状態が持続する。静的だからこそのこのショットの訴えは、我々の心にじんわりと浸透してくるのではないか。

ジャンヌが「ギロチンを落とす」瞬間の呆気なさとあまりの静けさが恐ろしい。
そして、窓から差すミラーボールのような夜の灯りに照らされた彼女の虚無に浸った表情まで、他人事のように思えないリアルをはらんだ演出が貫かれていた。
Ricola

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