てっちゃん

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのてっちゃんのレビュー・感想・評価

4.9
人は感動する体験をすると、何度も頷いたり、笑ってしまったり、恐怖を感じたりすることがあることがあるかと思うが、本作はまさにそれを感じた作品であり、久しぶりに(でもないか、、)ちょっとすごすぎるの観てしまった、、と感動と茫然とした作品。
断言できるのが”私の生涯映画作品の中でも最重要作品”になったということ。

お初のシャンタルアケルマン監督さん。
いつものミニシアターでシャンタル・アケルマン映画祭をやっていて、他作品の前宣伝でとても印象的だったのもあり、これは観てみたいな思って、とても期待して観に行きました。

3時間超えの作品か、、私の膀胱は大丈夫だろうか?と、この不安はいつものことだったし(なので3時間超え作品の場合は、廊下側に座るのは常ですし、珈琲も飲んでおかないのがミソ)、何よりも絶対寝るだろうなと思っていたので、前日に十二分な睡眠をとってから挑もうとしたけど、寝る前に調子のって珈琲飲んだら、全く寝れなくなってしまうという悪コンディションの中、鑑賞開始したわけです。

結果は、、
全く膀胱の心配なんて考えなかったくらいに惹きつけられたし、絶対寝るだろうなと思っていたけど寝なかった(ここでシャンタルアケルマン監督さんの力量がとんでもないことが分かる。この方じゃなかったら、私はもちろんだけど劇場内がお休みモードになっていたかもしれない。しかも本作製作のとき25歳!)し、こんな映画があったのか!とまで思い、その出会いに嬉しくなったし、このマジックが映画ですよねとすら思ったくらい。

それでは印象に残ったシーンや、思ったことを書いていきます。

本作は、主婦ジャンヌの日常生活3日間を淡々と撮っていく。
内容は?と聞かれても内容なんてなく、我々が普段生活しているような様子を淡々と定点カメラ、長回しで撮っていく。

ジャンヌは1日を規則的に過ごしている。

朝起きて、お湯沸かしている間に息子の靴を磨いて、珈琲淹れて(このとききちんと豆をグラインダーで挽いているのが生活感あって最高。ドリップのことまでとやかく言うつもりはないが、この生活感溢れる演出でもう嬉しくなったのです)、朝ご飯の支度をして、息子を起こす前に部屋のストーブを入れてやり、時間になったら起こしてやり、息子が学校に行ったら脱ぎっぱなしの服を畳みベッドを折り(このベッドが好きポイント)、近所?の赤ん坊の面倒を見たり、息子のシャツのボタンを買いに行ったり、郵便局へ行ったり、仲良しの店員さんがいる珈琲屋のお気に入りの席で珈琲を飲み、ごはんの用意をしたり、じゃがいもを茹でたり、じゃがいもを茹でているとき売春をして(これが収入源。ジャンヌは未亡人である。)、息子が帰ってきたら晩御飯を配膳し、食事中に本を読む息子に注意したり、息子と散歩に行き、勉強を見てやったり、ラジオを聴きながら編み物をして、目覚ましを掛けて寝る。
そして、次の日が始まる。
ルーティンが始まる。

こうした1日をまさに”観察”しているような目線になる。
この”観察”を通して、ジャンヌの人となりが、なんとなく分かってくる。
かなりのきれい好き、決まったところにきちんと片づける、決まった順序でないと居心地が悪くなる感じ、息子のことを親の責任感として愛している(ように私は感じた。)、日常的に話す相手がいない(親しい友人が少ない)とか。

特に私が感じたのは、”閉塞感”である。
一見すると、普通の主婦の生活である。
しかし、そこには逃げ道が一切なく、自由なようでいても実際には全く自由ではないし、息苦しさを感じる”閉塞感”。
この”閉塞感”に注目して欲しいです。

あと”音”もすごく印象的。
所謂、生活音がものすごく印象的。
家事をするときの音(肉をこねるときの音とか)、ドアの開け閉め音とか遠くで聞こえる車のエンジン音とか。
生活音はあるけど、会話が必要最低限しかない。
この”音”がものすごく印象的に使われているから、ぐいぐいと引き込まれていくのもあるのでしょう。
ちなみに劇伴は一切ない。

2日目が始まると、1日目と微妙にジャンヌを”観察”する視点が変わる。
見る角度が変わる。
1日目では見えていないところが見え始める(それは部屋の様子だったり、街の様子だったり、、)。
それによって我々の見える範囲も広がるので、ジャンヌという人となりをより”観察”できるようになる。
いつもと同じようだけど違う日常、気分で変わる日常の景色、その日にしか存在しない現実が確かにあることを認識することができる。

ここで注目して欲しいと書いた”閉塞感”。
1日目を経て、2日目を”観察”すると、ますます感じる”閉塞感”。
この”閉塞感”をどうして感じたのか、それは3日目に確信へと変わることになります。

3日目。
ぐらついていた日常が、ついに崩壊する。
いつもと変わらない朝。でも違う朝。いつものルーティンが上手くいかない。
赤ん坊の面倒をみようとして抱っこをすると大泣きされる。このときジャンヌの表情を見ていると、明らかに扱いに困った様子の表情をしているように見える(これはジャンヌが子供に対する現れだと思う)。
妹からお土産が届く(この妹に「お姉さんは綺麗なんだから再婚して、早く幸せになって」みたいなことが”嫌味”なく書かれている)。その中身はマタニティドレス。強烈すぎるだろ。
お気に入りの珈琲屋に行くがいつもの席に他人がいて、しかも長居する感じだから、頼んだ珈琲を飲まずに帰る。
晩御飯の準備中に売春をする(この3日目で売春しているシーンが初めて映る)。
そして、、、とある出来事が起こる。
その後、ジャンヌは机に肘を置き、椅子に座りこむ定点ショットが続く。
ジャンヌの表情、動き、目線を捉えている。

この3日間を”観察”して、こうなるべきしてなったとも感じたし、こうなろうとして”した”とも感じた。

”閉塞感”。これが3日目についに全体を現す。
家族の為と思っていることは、それが当たり前だと言わんばかりに(自分は望んでいないのに、それが当たり前のように思われる)消費されていく毎日、休まるときなんて全然ない毎日、生きていくために性を商売とする(この行為だけがジャンヌが反抗している。数ある職の中でも、この職を選んだジャンヌ。)毎日、身内からですら何の根拠もなければ望んでもいない将来について言われる日々、息子の為に自分の時間を削る毎日、なにもかも上手くいかない日、、これらが”閉塞感”の正体である。

つまりは、抑圧された社会で生きる女性をとても現実的に生きたままを映している作品ってわけだ。

敢えて区別して言うが、これは男性と女性とでは捉え方、見え方が変わる作品だと思う。
それでも感じる”閉塞感”は本物であり、ジャンヌの心情の変化。
シャンタルアケルマン監督さんの卓越した観察眼と表現力と繊細さが、それを最大限に表現していく。

こんな感動して、力強い作品は、なかなか出会えないでしょう。
これが映画である。
映画でしかできない表現がある。
気持ちを動かす力を持っている。
本当に大好きな作品だ。
それにしても、熱量すごすぎてえらい長文になってしまったな、、

ジャンヌを演じるデルフィーヌセイリグさん素晴らしすぎるでしょう。
それ以外の言葉が見つからない。
彼女の動き、視線、表情を”観察”し、いろんな感動を味わえる大大大傑作でございました。
てっちゃん

てっちゃん