「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」を見ながら、エドワード・ヤン「牯嶺街少年殺人事件」のことを考えていました。
構造自体は同じで、登場人物がある行動を取るまでの情景を淡々とかつ執拗に映していくわけですよね。
「牯嶺街少年殺人事件」は4時間、
「ジャンヌ・ディエルマン」は3時間20分、
と長い上映時間です。とにかく苦しい。しかし、それだけの上映時間が必要だったわけです。
見たいものが見えない撮影、動かないカメラ。つまり、私たちがみたいものを見せない撮影は社会における女性の立場や生きづらさを表現しているわけです。
それでも私たちが3時間20分見入ってしまうのは、卓越した編集とリズムカルな環境音によって緊張感が続くからです。
「真実」とは(ここでは真実と書きます)、複雑に絡み合い、条件が無数に重なり合って起こってしまった、カオス理論やバタフライエフェクトの様なものなんです。「解き明かせない」ということを解き明かしていく物語です。少女、又は男性を殺してしまったのは、たまたま私たちでは無かっただけなんです。