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ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのyuienのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

一日のうちに、彼女は自分自身の為に生きる瞬間がどれほどあるんだろう。夫や息子の為に、そつなく家事をこなす、おそらく十年が一日の如く日々同じことの繰り返し。全てがまるで儀式の様で、主体性を排除した、形骸化された日常。
窒息しそうなほど窮屈な生活を、狂わず、正常に生きる為には、いかに全てを寸分違わず完璧にこなし、自己を抑圧できるか。間違いが生じないように、慎重にこなしていくか。
でもそれは本当に彼女が欲しかった生活だろうか。気づかない間に社会の「一般」を自分の義務として内在化していないんだろうか。

ひとつだけかけ間違えたボタンで全部が調子狂う様に、ほんの些細な綻びが次の綻びを呼び、そうやって拡がっていく隙間から、どんどん彼女が抑えてきたものが溢れ出してくる。

一日目で彼女にとっての「正常」をじっくりと丁寧に提示されたから、その強迫観念に近い几帳面を基準に、少しずつ大きくなっていく「ズレ」に、観ている側としても言い知れぬ焦燥感や不安を抱いた。一見感情移入の余地も無いほどに無機質なつくりだが、知らぬ間に観客に、ひとりの主婦の抑圧された日常を追体験させている。
もはや一日の空隙を埋める為に、何をすべきかすら分からないほど、自分が空っぽになっているって、なんだか、ただ他人の日常を滞りなく回していく装置みたいだ。

犯行は、三時間かけてつぶさに見せられた彼女にとっての「日常」の中で行われるのではなく、省略されてきた「扉の向こう側」(非日常)で行われたところが印象的だった。
終盤、「扉の向こう側」がはじめて映されたときから、そこを境界線にして、非日常が日常を取って変わるんだ、という予感を仄めかしているようだ。

突飛な行動からは、彼女には何かに対して明確な殺意を抱いていた訳ではなく、自分の置かれた現状を破壊したかった様に思えた。私には、彼女の最後の面持ちは、だから、どこか解放されたように映った。
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