【このラストも殺人!だとしたら?】
ヒッチコック監督、イギリス時代のトーキー三作目。
レコードから流れる“トリスタンとイゾルデ” をBGMのように被せ、主人公のモノローグを盛り上げる…という音の使い方は当時、画期的だったようですね。今ではありふれた手法ですが、これがお手本になって皆が使うようになったのかな?
巡業劇団の役者が殺され、所属女優ダイアナに容疑がかかるが…どうもおかしい、と“俳優探偵” サー・ジョンが謎を解明しようとするお話。カメラワークの遊びや極端な演出など、随所に見られるヒッチ・タッチは楽しめます。
ダイアナを演じるノラ・ベアリングは黒髪で、憂いを帯びたファム・ファタール風ビジュアルが逆に、ヒッチ・ヒロインらしくなく新鮮でした。
サー・ジョンを演じるハーバート・マーシャルの落ち着いた演技もコクがある。彼は今でいうと、ダンディーなトムヒ様という印象です。
が、ヒッチ自身が「映画術」で“犯人探しの謎解きは好きではない”と語る通り、“俳優探偵”が捜査を始めるとみるみる、つまらなくなりますねえ…。
只その段取りを眺めるだけになり、感情に訴えて来るものが消えてしまう。原作の影響も大きいようですが、もっと気を入れて演出できなかったものか。
それでも面白かったのは、この話の異様な展開。“俳優探偵”は司法の人間でもなく、単なる素人探偵なのに、彼が犯人を追いつめてしまう。法で裁くのではなく、心理的な崖っぷちまで追い込もうとするんですよね。…何て恐ろしい男なのか(笑)。
で、その結果をこう描く本作は、サスペンスというよりホラーだと思いました。
上記の展開に付随しますが、あるマイノリティに対する作品の態度に時代を感じます。映画史的にも、当時は忌み嫌われるばかりでしたね。
<2017.5.10記>