肉寿司

マイティ・ソー ダーク・ワールドの肉寿司のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

・位相計
・前よりコメディ要素
カースとは
・黒い丸どこかに移動させる?集める?面白武器
・火葬なんや
惑星直列
・兄に必要とされて嬉しそうなロキかわいい
・火急の知らせ・・・火のついたように、差し迫った状態にあること
・首尾よく・・・都合よく
・偉大な王より偉大な男になりたい→青年期の終結ということ
・ロキずっとさすが

兄弟という関係性の特殊さ友達でもない親友とも言えないなんだろう面白い関係性
→兄弟ってなんなんだろう

◎礒崎三喜年・ナルデッシ, マルコ(2012)「きょうだいの有無によるきょうだい意識と友人関係の違い」『国際基督教大学学報. I-A 教育研究』(54), 113-120

1. 問題
・きょうだいとは, 不思議な存在である114
→Tesser(1960)・・・関係が所与のものとして形成されており友人関係のように選択的でない。また、親密でありながら身近であるがゆえにライバル意識や葛藤、軋轢を生じさせる存在である
・スポーツの世界では, 概して年下のきょうだいの実績が, 年上のきょうだいより優れていることが多く, その理由についてもさまざまな視点から検討がされている114
・長子・・・第一番目の子
・少子化ないま長子と一人っ子を今までの視点で捉えることは妥当なのか
・長子は, 自己を親に近づけ, 次子とは異なる存在として自分を捉えがちである114
・日本ではきょうだい関係の研究は少ない
・白佐(2004)・・・きょうだい同士の関係は, 幼少期から高齢期まで発達的に変化し, 発達段階の各時期において異なった関係を形成する
・きょうだいの存在は, 個人の自己意識の形成や自己評価に影響を及ぼし, 対人関係の基盤をなすもの115
・礒崎(2007)が示したこと
①年齢段階が上がるにつれてきょうだい関係の認知はより好ましいものになる
②年下きょうだい、男子より女子の方がきょうだいの存在を肯定的に捉えていることを示した
・年上のきょうだいは, 年下のきょうだいに対し, 自己との類似性を低く評定し, 心理的に距離をおきがち115
・年下のきょうだいは, 年上のきょうだいを自己に近づけて捉えようとする傾向がある115
・事故の得意領域や志向性がきょうだい間で細分化し差異化する, いわゆる棲み分けが生起し, 結果として互いを尊重しやすくなる可能性 115
・きょうだい関係は, 友人関係とも密接に関わっており, それらは, 相互に影響を与えつつ進展していくと考えられる115
・兄弟のいる人といない人で兄弟に対する意識や友人関係、自己と友人に対する捉え方にどのような違いが見られるのか

・ロキって人間味溢れているよな
・王政の王という位置付け
・ソーもロキも年齢の割に成熟していない
→人間よりも成熟が遅い?or人間の成熟度には限界がある?、育ち?
Q そもそも成熟とはなんなのか

奥田紗史美(2012)「現代青年と成熟〜アイデンティティとモラトリアム論の視点から〜」『心理相談研究』13, 3-11
1. はじめに
・若者たちが烙印を押されている現状
・俗流若者論
・青年が「大人」になるためのゴールや成熟の指標というのは, 明確なものとして存在するのだろうか
・そもそも成熟とはなんなのか

2. 青年期のはじまり
・青年の辞書の範囲・・・思春期〜30歳程度まで
・溝上(2010)・・・青年期はいわゆる若者よりも学歴エリートを伴う概念である
・青年期の始まり
→若者が労働から解放されておらず、親の職業や身分によって決まる職業に就く時代
→工業化により社会全体の生産力向上
→若者が仕事からの脱却
⇨18~19世紀に教育の近代化
⇨近代は特権階級が支配する社会から一歩前進したメリトクラシー(業績)社会であり、若者は、労働ではなく学校を通しては職業選択をし、人生を選択するようになった4
・メリトクラシーは、それまでの身分や家柄とは異なり、子どもの能力によって社会選抜を行う(つまり能力のあるものほど高い階層に行ける)という側面を持っており、学校は選抜のための装置として機能する4
⚪︎青年期は、「若者」の単なる蔑称ではなく、固定した身分制度から、学校教育のなかで自ら人生選択を行う社会システムへの移行に伴って誕生した発達段階である4
・昨今の高学歴化に伴い、青年期が延長していくのは当然のことである4

3. 青年期の大衆化と現在
・メリトクラシー社会や青年期の一般化は国や文化によって違う
・日本の場合高等教育が大衆化するのが第二次世界大戦後, 特に1960年代以降
・1960年代・・・戦後の第一次ベビーブーム世代である団塊のせだい(1947~49年生まれ)が高等学校、大学へ進学した時期4
→この世代は、日本の若者の間で「青年期」が大衆化した最初の世代である4
・学生運動、全共闘というイメージの反面、意欲減退型の留年などの存在
・青年に対する「無気力」「弱い」というようなネガティブで未熟なイメージが、基本的には時代を越えて存在している4
→「青年」とは、その大衆化以降、いつの時代でも未熟や甘え、やる気のなさというイメージで捉えられることを宿命づけられた存在4-5

4. 社会から見た成熟
・浅野(2006)の若者批判に関する二分類
①経済的視点・・・ニート、フリーターが存在している若者は貢献度がマイナス
・パラサイト・シングル・・・
②道徳的視点・・・特定の道徳や規範に違反しているか
・社会的成熟では、就職や結婚のような具体的「成果」がイメージされやすく、良くも悪くも成熟の指標としてはわかりやすい5

5. 個人にとっての成熟
・社会的成熟や身体的成熟とは異なり、心理的に成熟することが具体的にどういう状態かとイメージすると、その内容は個人によって千差万別であろう6

6. 青年期とアイデンティティ
・青年期のadolescenceは、ラテン語で「成長する」という意味のadolescereをその語源とする6
・青年期が、そもそも成長の途上にある時期、つまり思春期に始まる大人への移行プロセスそのものを指す6
→自らの足で歩んでいくための準備期間であり、その達成が青年期の終結である6
・Erikson(1963)のアイデンティティの概念
→青年期は8つの段階のうち5つ目
→青年期は乳幼児から児童期までの間に積み重ねてきた、父母や理想的な人たちへの同化(identification)から、それらを再吟味し、「私とは何者か」という独自の同一性(identity)へと至る段階とされる
・Erikson(1959)・・・主体的な模索が重要
・Erikson(1959)・・・アイデンティティの形成は生涯にわたる、青年期は人生で最初期に行われる探索で再吟味される可能性のある暫定的なもの
・アイデンティティ感覚
→斉一性・・・「自分は他の誰でもない、たった一人の私である」という感覚7
→連続性・・・「私は昔からずっと私であり続けてきたし、今もこれからもそうである」という感覚7
→Erikson(1959)・・・この二つの性質の連続性が他者によって保障されていることが重要
⚪︎「私は独自で固有の私であり、それを他者からも認められ、支えられている」(斉一性)感覚と、「私は過去を受け入れ、それを土台にこれからもやっていく。他者からも、私の過去や未来の可能性は認められている」(連続性)という感覚を深めていくことが青年期の主題
・Erikson(1959)「拡散」・・・青年においては主に、「職業」によって自己が他人に認められているという自信がもたらされ、アイデンティティ感覚が育つ

7. 青年期の本質としてのモラトリアム
・Erikson(1963)・・・青年の心は本質的にモラトリアムの心理
→同年代の若者たちと競争しながら、自由な「役割実験」を行い、「適所」を見つけようとする
→そこには相応の、自立に向けた切迫感や半人前意識、緊張感が必要となる
⚪︎青年期とは、子ども時代のまとめとして、それまでの同一化の段階から脱し、人生で最初にアイデンティティを「模索」する「過渡的な時期」である8

8. 現代の青年期と展望
・村澤(2008)の指摘・・・リスクを避けようとして安心して役割実験ができず、堅実さを求めるあまりリスク回避自体が目的化している
・多様化がリスクとして青年自身に実感されるときに、堅実さや資格志向といった、極端に冒険しない「モラトリアムを体験できない」青年が生まれる8
・インターネットに多様な価値観と情報が瞬時に発信される今日では、その玉石混交かつ無限の情報を、みずから、吟味し取捨選択する力がますます重要になっている8-9
・自らのキャリアは、自らデザインし、場合によっては、それを可能にする共同体すらも自分で作ることが求められているのである9
しかし→多様化の可能性としての側面が確実にとらえられ、青年期がモラトリアムになるか否かは、個人の力に加え、リソース(例えば親の理解や経済力)にますます左右される9
→青年を取り巻く周囲にも、多様性を認め不確実さを未決状態に耐え、青年の模索を支える寛容さが必要となると考えられる9
肉寿司

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