レインウォッチャー

もらとりあむタマ子のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

もらとりあむタマ子(2013年製作の映画)
4.0
モラトリアム(moratorium)=猶予期間。
タイトルに違わず、主人公タマ子(前田敦子)はもちろん映画自体がモラトリアムってる。なぜなら、この映画は「ゴールしない」からだ。そして、それが何より心地良い。

大学を卒業後、そのまま実家に舞い戻ってきたらしいタマ子。精力的に職を探すでも、何か確固たる夢がある風でもなく、そこまで仲良くもない父親と日々をやり過ごす。

彼女に何があったのか、何もなかったのか。そして何処かへ行き、何者かになれるのか。
映画はそれらの余白に体裁の良い肉付けを加えない。ただこの猶予期間、つまり章と章の間に過ぎない季節を、正直に映す。ドラマ未満、物語未満だ。しかし、それでも映画は出来てしまうのが不思議で、マジカルだと思う。

もちろん、タマ子を演じた前田敦子のハマり具合も大きいだろう。トイレで漫画、ニュースにぼやき、襟元だるだるT on the ママチャリ。
彼女はちょうど前年にAKB48を卒業し、まさにモラトリアム的な期間だった…などと言うには当時既にしてじゅうぶん忙しく、その後の女優としての安定ぶりは今や誰もが知るところであるけれど、心の内はわからない。し、そもそもタマ子に限らず《途上》に居ない人なんているだろうか?なんてことに、すこしずつ気づいたりする。

母と別居して長いようである父。
部活と恋に精を出す中坊の少年。
何かの事情を経て、再び東京へ戻っていくかつての同級生。
彼らもまた誰もが、あるところに留まっていたい、でもそのままではいられない揺らぎを知っている。

この町は(そしてこの映画は)、誰もが今しばらくだけ立ち止まることを許されるために存在しているみたいだ。そこに、山下敦弘監督らしい「過ぎゆくもの」「変わりゆくもの」への視点が合わさって、決して安易に甘やかされるだけではない少しの後ろめたさ、焦り、悔い…といった細かい棘が、何かの始まりを期待して髪を切ったばかりの襟足を撫でる。(映画もまたそうだ。いつかは終わらなければならない。)

それでもこの映画はここに在ってくれて、生きるという途上でふと我に帰り迷うわたしたちのことを待っている。
タマ子のことが好きになれない、理解できないという方がいれば、きっとあなたは真面目で、正直で、幸せなのでしょう。でもいつか何かに疲れたとき、タマ子は何も言わず迎えてくれると思います。顔も上げないかもしれないけれど。

さー、がんばろっか。明日から。