イホウジン

インターステラーのイホウジンのレビュー・感想・評価

インターステラー(2014年製作の映画)
4.3
SFで人間賛歌は可能か?

今作は『2001年宇宙の旅』のオマージュであるという話が広く知られているが、それは後者へのリスペクトでありながらある種の抵抗であったようにも受け取れる。確かに、スペースモジュールのデザインや今作のロボットとモノリスの造形の類似など、露骨と言ってもいいほどに『2001年』を意識している。しかしながら、今作は決して『2001年』のリメイクではない。むしろ今作はそのアップデートと言ってもいいだろう。
今作で重要なのは、どんなに物理法則を無視した舞台になったとしても主人公の一人称視点が外されないという点だ。つまり、今作は『2001年』のような“人類の超越”をテーマとせず、むしろ人類それ自体の可能性や希望を完璧に賛辞する映画なのである。例えて言うと、ウルトラマンで地球防衛軍だけで敵の怪獣を倒してしまうようなものだ。地球で発生した問題を、“宇宙人”の力を借りて他力本願的に解決しようとするのではなく、あくまで自力で解決まで導こうと努力する様が物語の主題となるということだ。
今作における「Aプラン」「Bプラン」の議論はそれを象徴している。考えてみるとBの方が種の生存本能に適したものだとも考えられ(ちょうど花が花粉を飛ばすようなことか?)、Aは逆に非効率的なやり方とも解釈できる。しかし、今作の登場人物達はあくまでAの可能性を信じ続ける。それは、あらゆる効率を度外視してでも守るべき相手を守ろうとする「愛」の作用が働いているからだ。主人公は最後の最後まで家族への愛にこだわり続け、それが終盤の劇的展開に繋がる。そういう意味では今作で明確に“救う”存在は実は人類ではなく家族であるというまことに利己的なものになってしまうのだが、今作があくまで主人公を設定した物語である以上、それを非難する必要性は生じない。この、世界観は『2001年』にも通じるレベルなのにストーリーに強烈な人間臭さが投入されているのが、今作が唯一無二の傑作たらしめたものであろう。
キャストも魅力的だ。特に、序盤に登場する若かりしシャラメは今では考えられないほどの脇役で、そういう所も面白い。中盤からのキーパーソンであるマット・デイモンも、弱さと醜さが共存する感じが癖になる。

ノーラン監督の作品に共通して言えることだが、物語は本当にご都合主義なものである。それ故にあの独自の世界が確立されるので別に悪い話ではないが、内容をじっくり考えようとすると、必ずどこかで詰まってしまう。このレビューを書くのにも、結局1週間ぐらいかかってしまった。

あと映像も当然素晴らしいのだが、それ以上に音へのこだわりが凄まじかった。映画館で鑑賞すると、重低音が振動となって体内にも伝わってきて、こうなるともはや鑑賞というより「体験」に近いものを味わった。初見を映画館にとっておいて本当に良かった。

(2020/12/27 追記)
『惑星ソラリス』の要素もある。というかノーラン監督の映画は大体「主人公が自分の罪を洗い流す」展開が用意されてるので、その影響は無視できないだろう。設定は全然違うが、やはり今作の「海の惑星」からはソラリスを想起せざるを得ない。
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