み

THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!のみのレビュー・感想・評価

4.8
アイドルって別におとぎ話ではなく、アイドルというカルチャーが終わったら、語り継がれることはないと思う。リアルタイムに〈アイドル〉が存在しなければ、そこに偶像としても栄光としても存在しない。
しかし、語り継がれる魅力があるうちはアイドルは存在し続けるとも言える。

アイドルは他者に認識されることでしか存在できないか。
たとえば、アイドルの言う”オフ”ってアイドルじゃないのかって話だけど、オフで〇〇して〜という発言をネットでしている時はアイドルだと思う。

親に本名で呼ばれ、子供として接されてる時。アイドルの姿を知らない知人に本名で呼ばれている時。SNSで別の顔がある時。これらの時はアイドルじゃないでしょうね。

成長物語とは少し違い、アイドルと人間の二面性の物語に見える。シリアスな展開なんてなく、そこに人間がいるだけだ。

段飛ばしで駆け足で階段を降りる春香と1段ずつゆっくり降りる千早。
リーダーの天海春香についていく如月千早という構図。決しておいてかれるわけでも振り回されているわけでもない。そこには2人を撮るカメラがある。
千早は歌唱力という武器がある。じゃあ天海春香はなにが優れているのか。優れているのは技術面を超越するアイドルとしてのカリスマ性。
圧倒的リーダー適性である。
ここでは、千早はカメラマンで春香は被写体なのだ。
天海春香は自身の揺るぎないリーダーとしての素質には気付かずそれでいて引っ張っていくが、これがあるべき姿。
アイドルマスターにおけるアイドル天海春香。

もう1人の主人公は、人間の水瀬伊織だと思う。
素晴らしい。本当に人間。
でもアイドルなんだよね。
だから外周を水瀬伊織が回っているわけではなく、アイドルの天海春香と人間の水瀬伊織は混沌としている。
他はキャラクターは人間とアイドルの面が見えた為、それでいい!と思っていたが、主人公として水瀬伊織を置いたのは、やはり他と比べてアイドルと人間の境界線がないことで目立ったから。
それでも天海春香は天海春香で、水瀬伊織は水瀬伊織だ。

同じアイドルアニメは存在しない。

ゆるゆりのTシャツに「ラブライブだろ?」というの、もはやミームと化してるが、実にオタク的でいいよな。定期的にみたくなる。

アイドルマスター、とてもよかった。定期的に観たくなる作品だな。
み