まつむらはるか

物語る私たちのまつむらはるかのレビュー・感想・評価

物語る私たち(2012年製作の映画)
4.8
こんな面白くもない普通の家族の話を、みんな聞きたいと思うのかしら』

こんなようなセリフから始まるこの家族のドキュメンタリーを観ようとしたきっかけは、あらすじを読む限り、非常に私自身に状況が似通っていたからだ。というのはーーー私も、監督であるサラも10歳のときに母を病気で亡くしており、生前の母について親族や母の生前の友人などにインタビューする、という題材についてである。
有名人でもなければ特別な家族でもない、どこにでもいるようなお母さんのドキュメンタリーを、いかにして魅力的に描くか、というのが私の制作の上では非常に重要なものであり、この映画はその点で参考になると思ったのだった。


しかし、この映画はそんな私の想像をゆうに超えていた。
この映画で重要なのは、母という主人公が故人となることによって抜け、その穴に向かって360度全方位から関係者の証言を向けることによって彼女の像が浮かび上がるという点であるが、その像というのが、なんと二転三転もするのだ。
最初のイメージは『明るく奔放なお母さん』だが、反対側から見た母はまるで別人のようだ。しかしその全てが全て真実であり、彼女であるのだということがわかった時、そして、そのあとの出来事を含め、これほどインパクトが強く、メタ的で、哲学を考えさせられるものかと、とてもこんな恵まれた題材を超えるなんてことはできないと、そりゃあ見せる順番を変えたら面白くもなるでしょうと、匙をなげたくなった。

だから、冒頭の『こんな面白くもない・・・』というセリフを聞いてすっかり『うんうん、でもその平凡さがいいんだよ!』なんて思っていた私なんて勘違いもいいところだし、なかなかにこのインタビュイーたちも口の回る人たちである(さすが大物女優の家族!)と言わざるを得ない。
しかしそのインタビュイーたちが戸惑い照れながらもすらすらと話をしていても、さらに監督であるサラが冷静ながらズバズバと痛い質問を投げかける様子は圧巻。こんなにプライベートな話題に切り込んでいっていいのだろうかというところまで迫る。嘘のようなリアルと、真実とドキュメンタリーの関係性が垣間見え、監督の狙ったであろう以上の化学反応を感じた。