海

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌の海のレビュー・感想・評価

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ギターを始めたばかりの頃、おそらくこの狭い町で一番の桜の名所でもある公園に、よくギターを弾きに行った。その公園には一匹の猫が居た。この映画に出てくる猫と同じオレンジ色の、でももっと太ってて、瞳は金色で、返事をするときだけ小さな声で鳴く、皆から「ミーちゃん」と呼ばれている子だった。わたしのギターケースの上に座り込んで、眠そうに目を細めながら耳だけをこちらに向けていた。Fもまともに押さえられないような、へたくそなギターを聴いてくれた。あそこに行かなくなってからもう何年も経った。ミーちゃんはもしかしたらもうあそこには居ないかもしれない。たとえ居たとしても、見分けられる自信がわたしにはもうない。夜の高速道路でルーウィンが猫と見つめあうあのシーンに胸を締め付けられて、いつまでもいつまでも、エンドロールが切れてしまうまで、あの場所に取り残されている気がしていた。桜って、散り始めれば、本当に雪にそっくりなんだ。大切なものは全部手放して、心無い言葉は全部飲み込んできた。欲しかった一つを手に入れるために。でもどうしても、そんな彼の、持っているものじゃなく、手放したものにわたしは惹かれている、これが人生でなく映画という物語だからだ。いつかそのうちふくれて溢れ出すようなたった一つの希望よりも、もう二度とそこには戻ってこない「なにか」があった空白にこそ、わたしは夢を見ている。ままならないね、人生なんて。歌を聴くためじゃないよ、あらかじめ用意されたぶんだけの空気しか吸うことはできないから、それを節約するために、誰もが不意に黙り込むの。耳をすませるふりをして、ただ延命をしている。だから歌ってよ。勝手に死んでしまった友と、名前すらなかったあの猫の、旅のその涯てをあなただけが知っているんだから歌って。とん、とん、とん、胸の内側をノックし続けてよ、猫のように丸めた手で、もう一度目覚めるときまで。死ぬまで書き続けても決して終わらない詩のなかに、歌のなかに、告白のなかに、わたしたちは生きてる。

「海が猫を預かっていると伝えてください。」「分かりました、海が猫だ…ですね。」「はい、そうです。わたしが猫だと伝えてください。」
海