ケンタウロス

ノスタルジアのケンタウロスのレビュー・感想・評価

ノスタルジア(1983年製作の映画)
5.0
いやあ
ずっとみたかったんだけど
凄かったなぁ

難解というよりは
観る人の想像に委ねる感じだと思った
とにかく目を凝らして観た
また観たいと思った

雨の音、犬の鳴き声、ライトの
ジリジリ音が印象的だった
美しさと哀しさと少しの狂気と、色んなものが滲み出ていた
ノスタルジアというには少し優しすぎる感じもするが、バッチリハマっているタイトルだとも思う矛盾

温泉を蝋燭の火を消さないように渡るシーンはめちゃくちゃ緊張感あってよかった

予備知識が全然ないので
なんとも言えない
宗教や故郷もテーマなんだろうけど自分の悪い癖でそういう事は見てるうちに全部吹っ飛んでしまう。自分には、もがき苦しみながらも生きるしかないっていう人間をただただ見つめるような映画で、一回そう思うとそういうふうにしか見えなくなってくる。

過去っぽいモノクロームの映像と
現在っぽいカラーの映像が混じり合って
もしかしたら現在はモノクロの方で
過去がカラーの映像なんじゃないかとか

主人公が実はあの焼身自殺した
おじさんなんじゃないかとか
それとも自分と重ね合わせているだけなのかとか色々考えたが全く分からず

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wiki

ストーリー

ロシア人作家アンドレイ・ゴルチャコフは、助手で通訳のエウジェニアと共に、モスクワからイタリア中部のトスカーナを訪れていた。故郷ロシアに帰れば農奴となることを知りながらも帰国して自殺した作曲家、パーヴェル・サスノフスキーの取材のための旅も、終わりに近づいていた。アンドレイは心臓病を患っていた。

二人がシエーナを訪れた目的は、教会に祀られているマドンナ・デル・バルトの聖母画を見ることだったが、アンドレイは教会に入ろうとせず、エウジェニアだけが建物に入り、なかにいた男と信仰や女の人生についての議論を交わす。教会のなかでは修道女たちがイコンに祈りの言葉を捧げていた。その晩に泊まったホテルで、アンドレイは故郷の夢を見る。夢のなかの風景は霧に包まれ、森があり、走り回る少女がいた。

旅の最後に立ち寄った小さな温泉街バーニョ・ヴィニョーニで、二人はドメニコという男と出会う。ドメニコはかつて「もうすぐ世界の終末が訪れる」と信じ込み、7年にわたって家族を幽閉したことから、周囲から狂人と呼ばれていた。アンドレイはドメニコに関心を示すが、エウジェニアはアンドレイとドメニコのやりとりに巻き込まれることに苛立ちを覚え、二人の元を去る。ドメニコは住処の廃屋にアンドレイを招くが、天井からはたえず水が滴っており、壁には「1+1=1」という奇妙な数式が書かれていた。ドメニコはアンドレイにベートーヴェンの第九を聴かせ、「蝋燭に火を灯し、広場の温泉を渡りきることが出来たら、世界は救済される」と言う。アンドレイは蝋燭を受け取り、自分が代わりにそれをすると約束する。

アンドレイがホテルの部屋に戻ると、湯を使いに来たエウジェニアが髪を乾かしていた。アンドレイの煮え切らない態度に腹を立てた彼女は、「恋人が待つローマに戻る」と言い残し、アンドレイの元を去る。遅れてバーニョ・ヴィニョーニを去ったアンドレイは、エウジェニアからの電話を受け取る。電話の内容は「ドメニコがローマに渡り、3日間にわたって広場で演説を続けている。彼は自分があなたに頼んだことをしたかと尋ねている」というものだった。アンドレイは旅程を変更し、再びバーニョ・ヴィニョーニに戻ることにする。

ドメニコはカンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス像に上り、人々が見守る中で演説を続けていた。「私たちは無駄と思える声に耳を傾けなければならない」「私たちの耳と目に大いなる夢の始まりを満たすのだ」 ―― 演説を終えたドメニコは頭からガソリンをかぶり、大音量で第九を流し(彼が言うところの音楽を「発動」し)ながら自らに火を放ち、駆けつけたエウジェニアや警官たちの前で焼身自殺を遂げる。第九は「Alle Menschen werden Brüder(すべての人々は兄弟となる)」の箇所で途切れる。

バーニョ・ヴィニョーニに戻ったアンドレイは心臓病の薬を飲みながら、ドメニコに言われた通り、蝋燭に火を付けて温泉を渡りきろうとする。手や上着で風を遮っても、途中で蝋燭の火は消えてしまう。三度目の試みでようやく温泉を渡りきることに成功するが、温泉のへりに蝋燭を置いた直後、アンドレイは膝から崩れ落ちる。人々が駆け寄るなか、アンドレイはふたたび故郷の夢を見る。夢のなかでは故郷の雪景色が彼を包んでいた