鰹よろし

ミケランジェロ・プロジェクトの鰹よろしのネタバレレビュー・内容・結末

3.3

このレビューはネタバレを含みます

 彼らが美術品を守る意義はどこにあったのか。

 これが最初ひたすらに気になって仕方なかった。彼らの作戦の意義が弱かったんだ。人の命に変えてまでも、守る価値があるのかと。実際に美術品を奪還する過程で失われていく命があった。

 美術品というものの位置づけが微妙だったんだ。ヒトラーが以前閉ざされた道。総統美術館のための収集癖。そんなヒトラーへの贈り物だからこそ奪還するのか。そこで大打撃を与えたいのか。ナチスドイツも美術品を収集することで、何かしらを顕示したかったわけで。

 しかしそんなことはまるで気にする必要は無かった。 無線のテストだかの際にジョージ・クルーニー演じるストークスが仲間たちに美術品を守る意義を説くんだ。彼らは人間の文化を、歴史を守ろうとしていた。ここでハッとしたね。この思考に至らなかった自分に。逆にナチスドイツはそれを踏みにじろうとしていた。

 ここで戦場において1つ対立するんだ。単に兵士を守る、美術品を守る、ではなく。

 ・前線の兵士たちは今そこにある人の命を守ろうとしている

 ・モニュメンツ・メンはこれからの人の命(心としておくか)を守ろうとしている


 彼らに銃撃戦で人を殺させることなく、ナチを悪と表現していくのはうまい。そしていざ銃撃戦と観せて、狙っていたのは子どもだったと(映画においては子どもを殺さないという安心感と、子どもにまで銃を撃たせるナチってな意味合いがあったんだろう)。あとはたばこでの一服による一時休戦か。捉えなくていいのかという問いに、どうせ捕まると。俺らがそれをやる必要は無いと。どこか戦場で浮く彼らが描かれる。

 全体的にさりげなさがうまい。通訳の件、蓄音器の件・・・などなど。ニヤリとする、仲間を想う、相手を出し抜くいやらしさ。この両者は共存させてこそなのよね~。仲間、敵という存在が際立っていく。 しかしここを意識させながら、彼らもまた戦争に参加しているという逃れられない事実を仲間の死で演出する。これまた見事だった。


 彼らの作戦の意義。今も残る、受け継がれる美術品の数々を想えばこそなのか。そして失われていった、今も尚失われていくモノがある。我々もまた彼らのように、後世へと残していかなければならないモノがある。この作品もその1つだろう。
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