Automne

うたうひとのAutomneのレビュー・感想・評価

うたうひと(2013年製作の映画)
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うーん、評価が難しい。
冴え渡るショットがときたま見られたり(鷲の話してるときに鳥が外飛んでたところがベスト)、民話を語りつぐこと、聞くことに対してフォーカスされているのは伝わる。

個人的に田舎生まれで小さい頃からそういう話を耳にタコができるくらいジジババに聞かされて育った人間なので、驚きというか新鮮さ、そういうものは少なく、どちらかというと日本中どこの地方も田舎も、男尊女卑的旧時代はどこも起こってることが一緒なんだなあという感想。東北シリーズの前作みたらまた見方は変わるのかもしれないけど。
柳田國男とか折口信夫とか南方熊楠とか、民俗学のこういう話は在野で調べまくって記録したスーパー賢い先人がいるからこそ、それらの著書と比べると内容が薄いのは否めない。

話の聞き手の方が戦後すぐの世代で、個人的な教科書墨汁コンプレックスから活動を続けているところとか、語り部の人の語ってる時は幸せだという証言とか、そういう重要な部分はある。けれども、肝心の物語が東北弁強すぎたので聞き取れないところが多々、字幕などつける心遣いが欲しかったところ。聞き取れなかったとき、大人数で話してて、自分ひとりだけ話ついていけてなくて「ふふっ」って空気読んで話の内容分からんのに愛想笑いする、みたいな微妙な心境になってしまう(語りかけてくるような撮り方を採用しているが故でもある)。

そもそも語り部が方言使って昔話を語ってるのは、その物語を"最も伝えたかった相手"が方言話者でありその地方の人間であったからだ。そのために分かりやすく語りやすく面白く特化して語り継がれてきたのが、語り部の覚えている昔話なのである。すなわちそこで分かりやすさを採用しないというのは、ある種見せ物的に古い東北の方言を物珍しがってちんけに扱っているに過ぎない。

だからこそ、唯一"分かりやすい字幕"があるだけで“後の世代にのこす”という意味での記録としてのドキュメンタリーの価値は大きくなる。なぜなら、この映画は方言話者とか狭い地域の範囲に向けてつくったものではなく、失われるものを広くあまねく伝える記録(ドキュメンタリー)として本来は撮ったはずなのだから。

美学はあっても良いけれども、濱口竜介だからみんなが真剣に傾聴できているのであって、何かあるのだと思って注視しているのであって、作家性(受け手側にある程度能動的な姿勢が必要であること)を抜くと、かなり分かりづらく伝わりづらいものになってしまっている。消えてゆくものを記録としてのこそうとしたときに、次の世代のことを考えると心配になるのだ。濱口竜介のことをよく知らない世代がこれを見て、なんのこっちゃ分からんと思ってなおざりにする近い未来を。
記録にのこすって、やっぱり知らない人間に向けて伝わりやすくつくることがいちばん大切だと思うのです。
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