人を笑顔にする≒できるということ
人を笑顔にすることとは、容易いことではないにしても、例えば明日から心掛けて、そうしようと決めて、絶対に出来ないことではないはず。
その瞬間瞬間は、心からその人を思い、その人に為に良かれ、またその人に良く思って貰いたくて、その人を笑顔にしたい、と思う。
しかし、その瞬間、というものは瞬間的に起こり、瞬間的に終わりを迎えるものだ。
その次の瞬間には、直ぐに自分の事を顧みて、相手を笑顔にした自分は、相手から、他人から、どう思われただろうか?
口先だけで、何か思うところがあって、何かしらの取り入ろうとする動機があって、調子のいいことを言っていると思われたのではないか、などと、勝手に我にも彼にも益もない疑心暗鬼に囚われて、絵に描いたように自爆する。
そうして死んだはずのその瞬間を、また性懲りも無く忘れた頃に繰り返し、歓喜と絶望を行ったり来たりして、まさに川の流れの中の石ころのように翻弄され、我々は変質していく。
意味もない≒本質的な、褒め言葉を他人に発するという事は、変質した我々にとっては、勇気の要ること。
それを容易くやってのける人間が、ふと現れる。
変革である。
しかし、全ての革命が、革命が成った後に変質するのと同じく、新しい価値が理想を追い越していく。
笑顔にするということ自体が「目的」となった時点で、全ては行き詰まりを見せる。
さて、人を笑顔に「できる」ものとは、一体何か?
たった16分間の中に、人生の全てが詰まっている、なんてことは言わない。
しかし、少なくとも、幸せな涙を流せるという経験を久し振りにさせてもらった。
シュガーオレンジさん、テイアムさん、先輩レビュアー様各位、誠に有難うございました!