カルダモン

ドレミファ娘の血は騒ぐのカルダモンのレビュー・感想・評価

ドレミファ娘の血は騒ぐ(1985年製作の映画)
4.1
憧れの吉岡先輩を訪ねて、田舎から彼の通う大学までやってきた秋子(洞口依子)。しかし校内で繰り広げられていたのは恥を知らない学生たちによるハレンチ学園なキャンパスライフ。平山教授(伊丹十三)に至っては〈極限的恥ずかし変異ついての仮説〉という理論を生徒に説いている始末。つまり恥ずかしさによって下着などで体を覆うことは、自らの体のどの部分を恥ずかしいと思っているかを露呈させる結果となり、故に隠していることさえも恥ずかしいのだという理論。人間は近い将来、恥ずかしさから解放されるために裸のままで生活するようになるかもしれない、と。
だからキミ、ちょっと裸になってそこに横たわってみたまえ。みたいな感じでエロを理論で覆い被したものの、まったく只のエロジジイに過ぎない憐れ。丸裸になった秋子の両足をパカっと広げて股の間が御来光のように輝き出すという神々しさと馬鹿馬鹿しさを同時に爆発させたようなシーンは忘れ難い。

元々は日活ロマンポルノの外注作品として作られた本作。残念ながら納品拒否され、映画作品として再編集し直したのが本作ということらしいのですが、納品を拒否られるって一体全体どんな仕上がりだったんだろうか。基本的にエロシーンさえあれば脚本や演出などは監督の自由にさせてもらえるという日活ロマンポルノ作品。そこにさえコミットできない黒沢清の表現はある意味では冴えていたのかもしれない。
当初のタイトルは『女子大生 恥ずかしゼミナール』、シナリオ執筆時のタイトルは『産地直送 もぎたてのお尻』だそうで、タイトルだけで赤面してしまうワードセンス抜群。

洞口依子の醸す雰囲気と映画全体の退廃的なムードが心地よく、思わずドレミファ男な私の血も騒いでしまう。少女漫画から飛び出したような、ドリーミーでちょっとだけムスッとした顔。廃墟のような校舎で少しだけ霊的な印象も。吉岡先輩の独特すぎるキモさがだんだんクセになる感じ、ナルシスを拗らせて言葉遣いも変。

しかしこの映画に漂う物悲しいムードはなんだろう。撮影監督は『ゴンドラ』を撮った瓜生さんだそうで、思えばあの映画も寂しい雰囲気が魅力でした。