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鑑定士と顔のない依頼人のkomoのネタバレレビュー・内容・結末

鑑定士と顔のない依頼人(2013年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

鑑定士として数多のオークションを席巻している初老の男ヴァージル(ジェフリー・ラッシュ)は、女性に興味のない堅物として知られていた。
そんなヴァージルに、ある女性から家具鑑定の依頼が入る。しかし彼女は自らを”広場恐怖症”だと言い、何度約束を取り付けても一向にヴァージルの前に現れようとしない。
当初は激昂していたヴァージルだったが、次第にその女性・クレア(シルヴィア・ホークス)への関心を抑えられなくなり、ついにその姿を覗き見してしまう。
長年ひきこもっていたとは思えないクレアの美貌に惹かれたヴァージルは、それが初めての恋となるのだが…。



胸糞悪い結末が待っていると聞いていたので覚悟はしていたのですが、それでも打ちのめされました。これは本当に後味が悪すぎる…。
しかし映像の美しさ、テーマの一貫性、蜘蛛の巣のように張り巡らされたギミックが非常に芸術的だったので、お気に入りの作品にもなりました。
初めての方は本当に一切の情報を仕入れずに鑑賞されることをお勧めします。
以下ネタバレ全開↓





どんでん返しがあると聞いていたので、クレアは初めから怪しいとは思っていました。
しかしヴァージルと情熱的な恋に落ちるまでの過程がとても繊細だったために、『広場恐怖症であったのは真実で、しかしそれを克服して自由を手にした彼女は、ヴァージルの秘密の部屋に入ってから欲に目が眩んだ』という展開なのかと考えました。
しかしヴァージルの美術部屋が空になってから明かされた衝撃の真実は、クレアだけでなく、ヴァージルの身近な人間全てが詐欺の計画犯であったということ。
登場人物の大半が犯人とは、某有名推理小説以来の衝撃です……。

何が凄まじいって、『周りがみんな敵だった』ということが盛大に種明かしされているということ。そしてそのために周到に用意された様々なギミック。
物語の中盤で、「贋作画家はオリジナルをそっくりに模倣しながらも、どこかに自身のサインを残す」という言葉が、世間話の一環として言及されています。
つまりヴァージルはただ美術品を盗まれただけに留まらず、『ざまあみろ』と言われんばかりに、詐欺の計画者も種明かしされているのです。
その最たる例が、クレアが持っていた絵の裏に、今回の詐欺の首謀者であるビリーのサインが入っていたこと。
ヴァージルの仕事仲間であったビリーは画家を志していましたが、その能力を長年ヴァージルからこき下ろされていたことへの腹いせとして、今回の詐欺計画を立てました。そしてその自身の名をヴァージル宛に刻むことで完璧な復讐を成し遂げたのでした。
いや〜陰湿……でも最高に頭がキレるリベンジです。芸術者たちの諍いは恐ろしすぎる。

好青年ロバートも、クレアに関心を抱き始めたあたりからいつかヴァージルを裏切る予感はしていましたが…まさか初めからグルだったなんて。
『オートマタ再興』をダシにした誘惑が巧すぎるし、なおかつ作り上げられたオートマタも本作の皮肉性を裏づけする重要なモチーフになっていました。美術品が空っぽになった部屋にコイツだけ残されてるの怖いよ……。

肝心のクレアもヴァージルをはめるための役者であり広場恐怖症もでっちあげだったわけですが、ベッドまで共にしたことを考えると、ヴァージルにほんの少しでも惹かれる気持ちが存在していたのだと思いたい……。
後半電話で「ハッピーエンドに変えようと思ってるの」と語る台詞は、自らが執筆している(という設定?)小説の話ではなく、ヴァージルとの関係の話だった、という説を強く推したいです。
ヴァージルに『ナイト&デイ』という、”時間と邂逅”をテーマにしたカフェの思い出を語ったのも、彼女の中にヴァージルに対する心の隙間があったからだと解釈しています。

さて、自らが陥れられたことに気付いてしまったヴァージルはその後、まるで廃人のようになってしまいました。
老け込んで茫然自失となってしまっているヴァージルが映し出されるのが本作の最大胸糞ポイントとなっていますが…しかし終盤では様々なシークエンスが交錯するため、どれが直近のヴァージルなのか判断しづらくもなっています。
クレアとのベッドシーンもこのタイミングで初めて登場するため、それが『幸福な余韻である』とも『辛い余韻である』とも取れるし、極論を言えば『再びクレアが帰ってきた』とも解釈できるのだとか。
最後の線は薄いとは思いますが、そのような見方もできる演出は非常に魅力的でした。

純粋に捉えるなら『ナイト&デイ』でたった一人で食事をするシーンが最新。
カップルだらけの店で一人きり食事するのは寂しい場面ではありますが、一人でプラハにまで来られたということは、むしろ過去を払拭しつつある証なのかもしれない。

詐欺に遭ったという点ではヴァージルは不幸ですが、詐欺に遭わずに暮らしていたら女性と愛し合う喜びを生涯知らずに終わっていました。
異性と思い合うことが人生最大の喜びであるとは限りませんが、ヴァージルの場合、クレアと過ごす時間は実に充実した様子でした。

幸福を知らずに、悲しみも知らず、自らを省みることもせずに生涯を終えるか。
幸福を知ったうえで、それを奪われる悲しみを知り、なおかつ自分自身について考えながら余生を過ごすか。
どちらが真の人生と言えるのかは、永遠に解けない謎かもしれません。

それにしても、ヴァージルの美術部屋にクレアを案内した時の二人の会話が美しかった。
「私の前にこんなに女性がいたのね」
「彼女たちを愛し、私も愛され、君を待てと教えられた」
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