飯

ウォールデンの飯のレビュー・感想・評価

ウォールデン(1969年製作の映画)
5.0
“There's nothing experimental about my life. ´Experimental´will only mislead people.” (Jonas Mekas)

Ezra PondのIN A STATION OF THE METROを思い出した。

“The apparition of these faces in the crowd;
petals on a wet, black bough.“

極度に圧縮された記憶やイマージュの結晶、生活の枝葉末節と点滅している顔たち、ぼんやりしていて、生活の真実に近づいていく。
点滅に見えるのは、運動性や連続性の欠如ではないだろう。私たちの脳がこのような非現実的なシニフィアンを捉えることができないから、これは記憶構造のなかの真実に属する。

あらゆる映像の宿命は、最初に書かれたひと言のように:
“Dedicated to LUMIERE”

収集と伝播
物事を集めて、光を浴びせて、私たちと向き合わせ、「可視化させる」。

映像を観ることと生活を見ることの違い:
前者は「みられる」ことを(大体)拒絶する。
極私的な映像のなかで、「みる」と「みられる」の境界線が消された。
「内部」が存在しない、あるいは必要とされない。したがって、「入る」ことができない、あるいは入る必要がない。
「みる」と「みられる」が同一された。ーー私たちはある人の光に捧げた讃歌をみている。この一瞬の詩意のなかで、to be is to see.

Brakhage, Dreyer, John Lennon, 小野洋子, Andy Warhol, Ginsberg……

愛の凝視。

Henry ThoreauのWALDENとの関係性についてはまた追記する。
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