hilock

アクト・オブ・キリングのhilockのレビュー・感想・評価

アクト・オブ・キリング(2012年製作の映画)
3.0
映画の中で殺人を再演するという手法は、映画製作の工程をまとめあげたプロダクションノートと等しい。そこで自己の行動や人間関係を赤裸々に書き上げることで、回顧と自己行動の反省へと行き着く。しかし、国家が後押しした共産主義者の大量虐殺は、現在でもインドネシア国内では肯定的な状況であるため、その罪の評価は国内では非常に難しい。監督はインドネシアでの大量虐殺を見聞し、そこで出会った共産主義者大量虐殺の主犯と彼のブレーンに、個々の好きな手法で映画を撮らせることを依頼する。撮影手法の知らないど素人に様々な助言という名目で、インタビューに近い、どぎつい詰問を仕掛ける監督の手腕はさすがである。国のために何かを成し遂げた英雄たちを、今あるステータスから凋落させることは難しいが、そこにいる人物の理性を揺さぶることはできる。監督は様々な方向からアプローチをし、個々の感情を根底から揺さぶる。あの時の栄華にしがみつくもの、あの当時を快く思わないもの、過去の異物として葬り去りたいものなど、個々の首謀者の姿は千差万別でもある。一番興味深いシーンとして、それぞれの階級、役職のものが再演のため集まり大量虐殺を回想し、その時の情景を語ろうとするのだが、そこにいる誰一人として当時の事象が一致しない点である。事実に目を背けていた逃避的な思考と藪の外という意識の疎外感を表し、国民の真の声ともいえる、国家の平和には行き着いていないことを物語る。また、殺人を模倣し、その手法を喜び語るもののそばで、萎縮しながら半笑いし首謀者の顔色を見ている姿は、オドロオドロしさを超え不気味にも感じる。
血塗られた英雄たちの実像(見ている観客は途中から虚像へと変わり果てる)を目の当たりすることで、主犯の功罪、国の責任と、現在のインドネシアという国の暗部まで描き出す。エンディング、大量殺害をした現場にたたずむみ、嗚咽する姿が強烈な印象を与える。フラフラになり殺害現場から歩き去る彼の背中は、何かを悟った姿にも見える。実録ものは最近とんと、見とりませんなー
hilock

hilock