Azuという名のブシェミ夫人

トム・アット・ザ・ファームのAzuという名のブシェミ夫人のレビュー・感想・評価

4.0
グザヴィエ・ドランの作品を観るのはこれが4作目。
毎回違った魅力を見せてくれる彼、一体どれほどの引き出しを持ってるんだろうか。
好きな監督であっても当たり外れはあるもので、今回はどうだろうと思っていたのだけれど、またヤられてしまった。

主人公トムが、亡くなった恋人ギョームの実家を訪れる。
ギョームの兄フランシスからゲイであったことを隠せと脅された為に、『良き友人であった』と嘘で塗り固められ始まった田舎での生活。
終始不穏な空気が流れ、居た堪れない気持ちが神経を張り詰めさせ、体を重くさせる。

真実を知るギョームの兄フランシスの暴力的圧力から逃げ出すチャンスは何度もあったはず。
しかし、トムには支配されたいという欲求が心の奥底に眠っていたのかもしれない。
他でも無く、自分が愛した彼と同じ匂いのする危険な男に。
タンゴを踊るシーンはゾクゾクする程素敵だった。

トムにとって絶対的な“支配者”と化していたフランシス自身、父や弟に置いていかれ、あの母親と二人きり生きてこなくてはならなかった“隷属者”でもあるのでしょう。
支配体系のトライアングルがあったとしたら、頂点に君臨し続けていたのは常に母親であっただろうから。
それは常に一方通行のもの。
近隣の住人からも距離を置かれている今、トムが農場に居たあの時間というのは、その形は非常に歪でありながらもフランシスのこれまでの人生に無かったバランスを取ることが出来ていたひと時であったのだと思う。
狂気じみた支配と隷属のバランス。
フランシスがこれからどんな風に生きていくのか・・・果たしてその人生は“生きている”と言えるのかどうかを考えてしまった。
トムだって、あの農場で身体に刻み込まれた感覚からはきっと逃れられやしないのではないだろうか。

こんなの嫌だ、観ていたくないって背を向けたくなるよ。
だけど『嘘おっしゃい。本当は欲しいくせに。』って囁かれてる。
何を恐れているのか、何を欲しているのか。
きっと心はとっくに気づいているのでしょう。