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NOのarchのレビュー・感想・評価

NO(2012年製作の映画)
2.6
1988年、チリで国民投票が行われた。それは15年前から続くピノチェト将軍の独裁政権の存続を決めるものであった。存続を希望するものは「Si」(Yesの意)、独裁を独裁を否定するのは「No」に投票する。
投票までの間、27日、一日15分のテレビのコマーシャル時間を賛否両者に与えられる。(実際は四六時中「Si」派はプロパガンダを展開しているわけだが)
主人公レネは、CM製作会社の男で、反対派に属する同級生の以来で、「No」側のCM製作に挑んでいくことになる。

上記あらすじならば、反逆のテーマに際してドラマチックな話になる気がする。例えば、レネというCMクリエイターだからこその起死回生の一手で大逆転するだとか。この映画は「No」の勝利で終わるが、そのラストに対して、「広告の恐ろしさ」を実感し、依然と何か考え方や生き方が変わってしまったというような終わり方だとか。
だが、それらのドラマチックで映画的に映える展開はない。レネという人物が、とにかく一喜一憂して乱されない性格の持ち主ということもあるのだろうが、独裁政権のヘイトを掻き立てる仕草もレネや 反体制派を過剰に祭り上げて、このチリの歴史的事件を大きく取り扱う訳でもないのだ。
後気になるのは、レネがCMを作る際にピノチェト政権の残虐性を表面化させる暗いCMではなく、「喜びはすぐそこに」と明るいCMにすることを心掛けている。結果論だけでいえば正解なのだが、レネの指針には商品CMと同じいつものやり方を選択した以上のものがない。現にCMに出てくる人達は当事者性の全く感じさせない人々ばかりで、ほんとにコーラのCMを見せられているようだ。
個人的には残酷な現実を提示する方向性に対して別に悪くないと思っていたので、その反論として、レネの意見には注視していたのだが、「暗い過去」ではなく、「喜びの未来」を提示するという方法論だけでは些か弱い気がするのだ。


不思議。というのが率直な感想。つまらないとかでく、これはこの出来事を滑稽に描きたい(CM批判)映画なのだろうか?

面白いと思ったのは、CMなどの広告の効果の描かれ方だった。プロパガンダもそうだが、CMなどのコマーシャルが群衆へとどう心理的な効果を与えているのかをCM製作者の視点で見るととどうなるのか。まずそれは数字でしか分からないこと(特に80年代では)だが、それが政権交代という結果にしっかり結びついているということに、ある種の仕事のやりがい(影響力)にレネは気づいた。そういう意味合いもあってレネは泣いたのかもしれない。もちろん勝利下からなのが大きいのは間違いないが、彼の周りとの反応のズレにはそこが大きいのかなと思ったのだ。

インタビューを読むと、この映画の本質は、ピノチェト政権が資本主義という社会モデルをチリに押し付ける上で持ち込んだCMやマーケティングという手法によって、独裁政権の転覆させられてしまうアイロニーにあるということらしい。
そういう面白さは確かにあった。
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