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キリングゲームのtakのレビュー・感想・評価

キリングゲーム(2013年製作の映画)
2.8
 ユーゴスラビアでの紛争は歴史と人々の心に大きな傷を残した。民族浄化の名の下で行われた残虐な行為。イギリス映画「ウェルカム・トゥ・サラエボ」は、その惨状を伝えようとするジャーナリストの戦いを描いた映画だった。インサートされるニュースフィルムに背筋が凍る。これはまぎれもない現実。そんな紛争地帯での出来事を、現代に生きる僕らはそこで何が起こっているのかに無関心であってはならない。映画を観るたび、「現代史」を学ぶ必要性をとても感じる。今回の「キリングゲーム」に登場する二人の男は、そのユーゴの紛争で出会った。ひとりは元セルビア兵士コヴァチ(ジョン・トラボルタ)、もう一人は退役したアメリカ軍人フォード(ロバート・デ・ニーロ)。

 虐殺を行った組織の一員であるセルビア兵は米兵によって次々に処刑されたのだが、コヴァチはとどめを刺されることなく一命をとりとめた。コヴァチは以来、自分を殺さずに置き去りにしたアメリカ兵フォードを探し続けていた。既に退役しているフォードは、アパラチア山脈の山小屋で世間を離れて孤独に暮らしていた。コヴァチはフォードに近づき、親しく酒を酌み交わした。翌日鹿狩りに行くことになった二人だが、コヴァチの銃口はフォードに向けられる。そして二人の生きるか死ぬかの駆け引きが始まった。

 この映画の根底に流れているのは"反戦"。戦争の狂気から悲劇を味わったコヴァチの経験、ボスニアに派遣されて見た惨状を忘れたいフォード。個人的な怨みから個人に報復するコヴァチの行動が、どうも今ひとつ合点がいかない。だが二人の形勢はめまぐるしい逆転の連続で、そんな理屈はどうでもよくなってくる。それに残虐描写とまではいかないが、観ているこっちまで「痛っ!」と顔をしかめてしまうような場面が続く。矢で射抜かれたふくらはぎを痛めつける場面や、射抜かれて痛々しい傷が残る頬に塩を混ぜたレモン汁を浴びせかける場面。痛々しい叫び声が90分の上映時間の中何度も響く。その応酬で立場がコロコロ変わるものだから、日本の配給会社は「ゲーム」などと題してしまった。その裏にある二人の戦争と祖国への思いを考えると、殺しを楽しんでいるかのようなタイトルはいかがなものか。しかし、そんな場面ばかりが印象に残ってしまって、最後のメッセージが薄れるという観客は確実にいると思うんだよね。映画は最後に急に人間ドラマとしての温かみを感じさせる。90分の短い上映時間の中でのギャップだが、それで語れることは決して悪いことじゃない。

 映画ファンになってから、ロバート・デ・ニーロ出演作は映画館でたくさん観てきた。「キリングゲーム」がちょっと嬉しいのは、セルフパロディとも思える場面があるところ。山小屋で懸垂しながら体を鍛えてるデ・ニーロは「タクシー・ドライバー」みたいだし、写真を撮るために鹿を追ったり戦争の悲劇を引きずったりする主人公は「ディア・ハンター」みたいだ。長いこと映画ファン続けるとこういう見方をしてしまうんだよな。劇中、デ・ニーロが語る祖父の懺悔エピソードと、ジョニー・キャッシュのDon't Take Your Guns To Townが印象的。
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