食べるとは、他者の命を自分の体に取り込むこと。
先にこの映画の子供向け写真集である「うちは精肉店」を知った。
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大阪府貝塚市で精肉店を営む家族を中心としたストーリー。
102年続いた市営の屠場を使う最後の家族。牛を育て、そして屠場で命をいただき、肉だけでなく内臓、脂、皮に至るまで全て人間のために使わせていただく。その真摯さが溢れている。(「牛は鳴き声以外すべて使える」)
日本や韓国においては、屠畜と差別は関係深い。
写真集は食べることに重きが置かれていたが、映画の重心は「差別」に置かれている。
パンフレットに書かれていたことであるが、この映画の撮影を打診された時に、精肉店を営む北出さんは、家族でも話し合った。そして、地元での撮影になるため、地域の人たちともたくさん話し合った。
そうして、監督と「この映画で万が一、差別を助長するような結果になった時は、腹くくって対していこう」と言い合い、撮影を始めた。
この誠実さ。これが命と向き合う人の誠実さなのだ。
屠畜のシーンもある。大量の血が流れるシーンもある。職人技でスムーズで皮を剥いでいくシーンもある。
それでもなお美しいとさえ思えてしまうのは、北出さんたちの誠実さと、製作側のまっすぐな気持ちの証ではないのか。そんな風に思える映画。
2015-03-11大阪の南御堂で観た。
北出新司さんの講演も聞けた。
「差別する人は、明日から肉食うな!と言いたいです(笑)」
「講演するとよく聞かれる質問は、『肉のどの部位が一番美味しい?どこの牛が美味しい?』のようなもの。それは違う。命をいただくんだから、どんな部位でも美味しくいただくために調理する。それは食べる側のやるべきこと」
この答えには衝撃を受けた。そんな風に考えたことがなかった。地に足を付けて、真摯に屠畜、精肉という仕事をしてきた人の言葉だなあと、感銘を受けた。
そして、友達と名古屋市南部市場を見学に行った時と同じことを思った。「肉が食べたい!」
屠畜したあと、牛の皮を使い、弟の北出昭さんが太鼓を作っているシーンも出てくる。岸和田市で有名なだんじりの山車の中に置かれる大きな太鼓。
恥ずかしい話、太鼓は牛の皮だと意識したことすらなかった。
ここからは余談。
年の離れた友達が、太鼓をたたく部活?に所属していた。そこで持っている太鼓の皮の張り替えを、北出さんの所でやっているという!
そして、大阪へこの映画を観に行く話しをすると、その何日か前に、顧問の先生からこの映画のことを聞いたばかりだという。ホントに驚いた。
こういう繋がりが見つかると、この映画に対する親近感が湧いた。
さらなる余談
この映画は上映のために、やしほ映画社から、30名に見せる基準で、3万円ほどでBlu-rayを借りることができる。
この映画を観たと話した、尊敬する先輩が岐阜でこの映画を観たという。
お!じゃあ協力して上映会企画するか!?ということに。
いつか実現できるとええなあ〜