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蝋人形の館のnetfilmsのレビュー・感想・評価

蝋人形の館(2005年製作の映画)
3.8
 カーリー(エリシャ・カスバート)は親友のペイジ(パリス・ヒルトン)とともに、それぞれ恋人を連れてアメリカン・フットボールの試合を観戦しようとスタジアムを目指していた。普段は折り合いの悪いカーリーの双子の兄ニック(チャド・マイケル・マーレイ)も友人を連れて同行し、6人グループでの深夜のドライブ。途中、キャンプ場で一泊することにしたものの、異様なにおいが立ち込めたり、正体不明のトラックに嫌がらせを受けたりと、6人は落ち着かない一夜を過ごす。翌朝、車の部品が抜き取られていることに気づき、途方にくれていた彼らに、声をかける男がいた。近くの町まで車で送ってくれるという申し出に、カーリーは恋人のウェイド(ジャレッド・パダレッキ)と一緒に男の車に乗り込んだ。今作は1933年と1953年に映画化された同名ホラー作品のリメイクである。地図にも乗らない場所に紛れ込んだ若者たちが、蝋人形館で惨劇に巻き込まれる設定はそのままに、明らかに『悪魔のいけにえ』以降の近代のホラー映画の定型をジャウム・コレット=セラは巧みに織り交ぜる。冒頭の70年代の回想と、若者たちの乱痴気騒ぎの落差が素晴らしい。この後、殺人ショーに巻き込まれるとは夢にも思わないアメリカの若者たちが、酒を呑んだり、ディープ・キスをしたり、思い思いに夜を楽しんでいる。

 森の木々が風にそよぐ様子が不穏さを掻き立てる。実際に彼らが嗅ぐのはとんでもない異臭で、腐乱した死体のような匂いが辺りに立ち込める。そこに車のライトをハイビームにして一台の車がまるで威嚇するかのように現れる。その車に乗っているのはいったい何者なのか?彼らは姿を見ようとするが、ハイビームが妨げとなり、男か女かもわからない。やがて痺れを切らしたのか、元アメフト・エリートの男が右側のライトを叩き壊す。これが後の凶行時の犯人のヒントになる。今作はホラー映画でありながら、中盤まではまったく人が死ぬ気配がない。しかし彼らが個々人に分断された時、殺人ショーの幕が開く。主人公のカーリーはうっかり足を滑らせ、動物の死体がうず高く積まれた沼地で服を汚してしまう。仕方なく男性にタンクトップを借りるが、そこからピンク色のブラ紐が見えている。死体収集業の男の風貌は明らかにこの世のものではない。こんな風貌の男に誘われたとしても普通なら絶対に同乗を断るが、どういうわけか若いカップルは男の車に乗車してしまう。ファンベルトを探すためにガソリン・スタンドに寄るのもホラー映画の定型に沿っている。カップルは街に出たことを喜ぶが、そこが殺戮の舞台になるとは知る由もない。

 最後まで生き残るのは主人公とその兄だが、この2人には色々確執があるのだということを前半匂わせておいた意味がようやく生きる。今作においては、女が男を一方的に助けるのではなく、2人の逃亡が男女の共同作業に見えるところに妙な旨味がある。映画館で上映されているオルドリッチ『何がジェーンに起ったか?』のベティ・デイヴィスの錯乱した表情の引用も素晴らしいが、それ以上に素晴らしいのが至近距離からのボーガンである。主人公たち2人にも様々な確執があるのに対して、殺人鬼の兄弟の方も心に深くキズを負っていることが明らかにされる場面なんて、20代にしてはなかなか狡猾な大物である。ありきたりな手法でしっかりと不安を構築しながら、然るべきところで登場人物たちを躊躇なく殺していく。プログラム・ピクチュアの基本をしっかりと踏襲している。お得意のハイ・アングルの構図も冒頭から随所に用いており、基礎体力の高さが十分伺える記憶に残るB級プログラム・ピクチュアである。
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