究極のハッピーエンドであり、バッドエンドでもあるという不思議な映画。
愛憎のメタファーである富江が単なる恐怖の対象ではなく、幸福にもつながり得るという両面が描かれていたので面白い。
両親からの愛や友人からの愛、憧れの先輩からの愛が実は嘘であったという告白は、事実だと受け取った。
そんな嘘だらけの愛情の中で孤独に苛まれていた主人公が富江に吸収されることで絶対的な愛を受けることができる。
しかし、これはいわば所有への愛であり、そこにあるだけでただ愛すのではなく、持つことで初めて愛するという強烈な皮肉が込められている。
愛=所有という価値基準しかない世界でのハッピーエンドは今作品のラストで半ばグロテスクな形で描かれているが、本当に目指すべきは所有を超えた、ただそこにあるだけで愛おしいという情感なのだろう。