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ダラス・バイヤーズクラブのmofaのネタバレレビュー・内容・結末

ダラス・バイヤーズクラブ(2013年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

【生命の息吹を感じる映画】

映画を観ていると、たまに、とても印象深いシーンと遭遇する。

 例えば、「ジュラシック・パーク」で首長竜を観た瞬間、
まるど本物かと息をのんだ記憶がある。

 「司祭」という映画では、ラストシーンで、心を通わせる司祭と少女の姿に、
心をうたれ、あの美しい涙を、忘れることが出来ない。

「シャンドライの恋」のラストシーンは、シーツのしわに、叶わぬ恋を感じることが出来た。

そんな風に、何年たっても、何十年たっても、
その瞬間の、自分の琴線に触れた瞬間を思い出すことが出来る。


 良い映画好きな映画は数あるけれど、
こんな風に、心に残るワンシーンと出会う映画は、
本当に少ない。

 多分、この映画は、久しぶりに、私にとっての、
そういう映画になるのかも知れない。
 何年たっても、
思い起こせば、生命力の息吹を、すぐそこに感じることの出来る映画。

 過酷な減量に成り立った、マシュー・マコノヒーの迫真の演技。
皮膚は削げ落ち、見た目もひどく、みずぼらしい。
 
けれど、そんな彼から、感じる事が出来るのは、
「生命力」だった。


 
この映画の素晴らしいところは、
21キロも減量したマコノヒー演じるロンが、
その刹那的な人生から、エイズと戦うことで、
エネルギーを爆発させていく様にある。

 しかし、そこには、必要以上の愛もなければ、
大儀もない。
 目標があるわけでもなく、彼が、何かを悟るわけでもない。

 ただ、ロンは彼らしく、本能のままに、突き進んでいくのだ。
「生きたい」という欲求は、自分だけのものから始まるが、
レイヨンと出会い、多くのエイズ患者と出会う上で、
ごく自然に自分の世界から、多くのエイズ患者の世界へと足を踏みいれていく。

 彼自身が意識したワケではない。
彼と独特な友情をかわしたレイヨンの死も影響したのかも知れない。
 
彼は、気付けば、多くのエイズ患者を救いたい・・という気持ちに変貌をとげていく。

裁判で負け、帰宅したロンに、多くの人が拍手を送る。
驚きを隠せないあの表情は、
彼の人生が、エイズによって、皮肉にも豊かになったことを象徴している。

 ロンは、更に痩せてゆくのに、
その目は、ますます、輝きに満ちていく。
 「死」へ近付いているはずなのに、生命力に満ち溢れていく。

正直、エイズ末期患者の役に臨むにあたり、マコノヒーが21キロ減量したと知った時、
21キロも痩せれば、病人の役は出来ちゃうでしょうよ・・・と思ったりした。
(すみません)

 けれど、21キロ減量がマコノヒーの凄さではなかった。
痩せこけていきながらも、生命力を醸し出す演技にあったのだ。
 減量し、死んでいく演技ではない。
 減量しつつ、死に向かいながらも、生命力を発する演技なのである。

 そして、それこそが、この映画の本質であると思うからこそ、
この映画は、マコノヒーでなければ、成り立たなかったのだと思う。

マコノヒーとともに賞賛されるべきは、
レイヨンを演じたジャレット・レト。

 スーパーで、無理矢理握手させられる場面。
困ったような、嬉しいような、泣きそうなレイヨンの表情は、
本当に素晴らしかった。


 はじめのシーン、柵越しにロデオを見つめるロン。
そして、最後のシーン。
 そのロデオに乗っているのは、ロン。
その姿を、柵越しに見つめているのは、私たちだ。

 柵の向こうのことなど、別世界のように感じていたロンが、
その柵の向こうへの舞台へと、あがっている。
 自分のSEXに夢中で、柵の向こうを呆然と興味なく見つめていた自分が、
いつしか、その世界を知り、その世界を生きている。

 無関心であったはずの世界で、
必死に躍動している。

 人生は、変わっていく。
エイズになったことで、彼の人生は豊かになる。
 苦難を迎えた時、
その苦難によって、何かが変われる自分でありたいと思う。
 
 柵の向こう側へ、
いうなれば、苦難によって、自分の人生の舞台にあがれたロンのように。
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