せいか

処刑山 ナチゾンビVSソビエトゾンビのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

1.0

このレビューはネタバレを含みます

(自分用雑記メモ感想)

兵士の哀愁と命の軽さが一緒にダンスしている軽快な作品。
前回はシナリオとしては単純なものだったが、今回はそこをグレードアップさせつつも前回同様のコメディ織り交ぜで毒も強くお送りされている。


子供も容赦なく死ぬので、もしかしたら見る人を選ぶ。
意味のある死は絶対に描かないのが本シリーズの好きな点である。子供だから殺す描写をしないとかそういう配慮が個人的には嫌いだったので清々した。みんな死ぬときは死ぬもんだよな。意味なんかない。生きることに意味もないように。

冒頭に前回のおさらいが最後まで生き残っていた男の口から語られるが、宝箱を開いてしまったからナチスゾンビが復活したことにされている。実際は1ではそれ以前から彼らは山中にいる人々に襲いかかっているはずなので、それは正しくない。1の前後関係の捉え方を私が誤っているのか、彼の目からはそう見えたのか、2を作るに当たりそのように改変したのかのいずれかだろう。
あと、彼は誤って自分の恋人を自分が殺したくせに、ちゃっかりナチスゾンビのせいにしていたのには笑った。
本作はそうしたおさらいの後、1ではラストは車まで追ってきたナチスゾンビがガラスを殴るところで暗転してエンディングだったその続きも見せてくれる。車内で必死に抗った彼はなんとか車を走らせて逃げるのである(なおここの戦闘シーンも前作同様コメディもほどよく織り交ぜられ、そしてやはりはらわたも大活躍するので楽しい)。だが、居眠り運転で山から脱出できないまま事故を起こす(が、助け出されて病院に行く)。

本作からはナチスゾンビ、なんと喋る。
たまたま巻き込まれた運転手が乗っていた大型トラックを眺め、指揮官は、ふもろとの海辺に広がる町の灯りを眺める。不穏である。

主人公が病院で話を聞くに、既に山中の捜索は行われて友人たちの死体も見つかったらしい。恋人の首に刺さっていた斧には主人公の指紋がべったりと付いていたため、彼に殺人容疑がかけられる(ハンナに関してはそれは誤りではない)。ナチスゾンビの存在はもちろん信じてもらえず(山中探し回っておいてナチスゾンビの死体の痕跡もなかったのか?)、車内に転がったはずの指揮官の腕を証拠にするが、なんとこれは彼の腕として誤解されて彼にくっつけられる。なかなか続編として機転が効いている展開である。しかも腕単体で意志があるらしく、主人公に従わずに周囲の人間に危害を加えていきもする。ある意味腕のゾンビである。だが、彼が気を失うと腕も大人しくなるようなので、本当に彼の意識と関係がないのかはやや疑わしくもある。思い込みも手伝っているのではとか思っちゃったりもする。
指揮官は指揮官でふもとの人間(老夫婦で、夫のほうはグラビアを見て盛ってる描写なんかもしちゃう)を殺害する傍ら、回収した主人公の腕を自分の腕にくっつける(引き寄せただけでみちみちとくっつく。噛まれた跡も切り落とされている時点で無くなっているのはご愛嬌か)。
そして墓場を漁ったりするのだが(増員のため)、腐りすぎてるといけないからと、生きのいい人間の死体が必要として教会に殴り込み、なんと父の家の中で神父(牧師よりはたぶん神父)を殺害する。ステンドグラスのイエスやマリア、御子の目からは血の涙が流れ、なんなら口からも流れ、聖杯で撲殺するのはなかなか大それたシーンであった。そしてなんかハンドパワーで神父さんをそのままゾンビとして復活させさえする。生前の意志に関係なく、量産型ナチスゾンビになるらしい。神の沈黙だなあ。😳

主人公は動けない状態で相変わらず病院にいたが、忍び込んで見物に来た子供を利用して拘束を解くも、また指揮官の腕が暴走して異常な力で子供を突き飛ばし(檻付きの窓が破れるほど)、人工呼吸をしようとするもまた異常な力で胸をつぶしてとどめを刺す。最初の時点で死んでたとは思うが。とはいえ、子供を殺す描写があるのはなかなか昨今大人に対する者のようにスナック感覚ではできないところだと思うので、やはりなかなか思い切っている。カメラに映す範囲では子供の死体はきれいに見えるようになっていたのは苦肉の策か。
その後も追っ手を殺したり車を奪ったりするのは指揮官の右手だが、やはりなんかこう、主人公の深層心理とは結び付いているような気はする。そんなつもりで制作してないのだろうけども!

今回は主人公はふもとの街にあるww2専門のささやかな博物館を訪れてナチスゾンビたちが何を果たせぬままに死んだのかを調査する。前回初老男性に煽られていた村の歴史をお勉強するわけである。偉い。
曰わく、彼らはヒットラーの命令で町の人を皆殺しにする命令があったさなかに叶わぬままでいたらしい。今回、町に降りてきて殺人を始めてるのもそのせいだろう(だが、前作とはここでも食い違う点にもなっている。続編作るにあたって話を引き延ばす必要があったからだろうが)。
博物館は彼らが目指す町の道中にあるので、外では大虐殺が起きている(身体障害者も殺すけど、そこにナチスが抱いていた障害者差別などの意識はなさそう)。腸をホース代わりにしてバスからガソリンを抜き取って展示物の戦車にも移す。あいかわらずはらわたが強い作品である。そして館内展示物の武器や地図も強奪していく。

主人公は博物館受付の男性を仲間にする(何でや)。知略?を尽くして館内ではナチスゾンビたちの目もかいくぐる。彼らが去ったあとは、残された新たなゾンビたち(全員がゾンビ化されていないのも不思議だが、置いて行かれているのも謎である)を腕試しに主人公は殺害していく。そんで、どうやらこのタイミングで腕の制御ができるようになったと語る。
そして彼もまた指揮官の腕を通して死体をゾンビ化出来ることに気が付いたところで、はるばるアメリカ(?)からきたオタク集団のゾンビ討伐チーム(3人)と落ち合う。そしてゾンビ軍団を作ることにするのである!……と言う感じで、とにかく本作は道徳観を踏みにじることに全力である。また、前作の王道的なパニックホラーのようにとにかく追われて戦いの描写よりも、なんというか内容がある。
討伐チームのリーダーはここに来るまでの間に歴史を調べ(偉い)、ここでかつてナチスたちが捕虜にしたソ連兵を酷使して参道を作らせた末に殺害し、その死体をそこに埋めたこと伝える。これがこちら側の兵士になるわけだが、悪のナチス兵という図に対してこういう形でソ連兵をぶつけるとはなという感じでこちらはしみじみとぢた気分になるしかない。前作でもこの地域がソ連兵の移動ルートでどうのこうのでナチスがその海運に目を付けてどうのこうのでとは言っていたが、そこを拾ってこうするとはなあ。

町ではナチスゾンビの大虐殺がとにかくグロく展開されているが、容赦なく子供も赤子もここでもやっていく。

一方の警察サイドはド田舎の署が動くので、遅れて行動しており、呆けたものである。本作はこれに限らず、田舎をネタにこする描写も手厳しくおこなわれている。とにかく毒が強い特徴がある。そして過疎感が強いので危機感が薄い滑稽さになっている(そうなることも深刻さはあるが)。

主人公たちは味方にしたぞんびを沼にはまった車を動かすために下敷きにしたり(その後にまた復活させる。都合のいい道具なのである)、本作ではとにかく命に対する軽んじ方が突き抜けている。それが悪いわけではなく、むしろ、なんかこう、善悪観や命を大切にしましょうということへのアイロニーになっている感じがして小気味がいい悪趣味である。

それで山でヒエッヒエの状態で埋められていたソ連兵を起こすのだが、ただならぬ雰囲気に連れてこられたゾンビと討伐チームリーダーが思わず身を寄せ合うのが間抜けで可愛くもあった。

そしてついに、主人公たちの尽力で町民がいなくなった町の広場で両勢力がぶつかり合うが、ここも「喧嘩祭りか?」と言われるように滑稽さが勝る。
ナチス兵は傷つくと、内臓の代わりにおがくずを詰められ、足が切れるとトイレのスッポンを代わりに突き刺されてまた戦場へ走る。ここでも描かれるのは、とにかくコメディタッチの残酷さであり、まじめな言い方をすれば、兵士の虚しい道具としての戦力である。

何はともあれゾンビ軍団を率いる指揮官の首を吹き飛ばすことで敵は無力化され、ソ連兵ゾンビたちも戦いの中で全滅。警察たちはただ訳が分からぬまま現場で困惑し続け、主人公は、なぜかも墓に埋まっているかつての恋人を掘り出して蘇らせてセックスをする(背後でなんかいい感じのラブソングが流れる)。そこに最初に博物館でよみがえらせた観光客ゾンビがさらにボロボロになった体を引きずってきて微笑ましそうにそれを眺めてエンディングである。やるならとことんの意志を感じる。

エンディング後は吹き飛んだ指揮官の首をなぜか動けている医者ナチス兵ゾンビが拾い上げて不穏に終わる。戦車の砲撃を受けてもきれいな首なのなとか、いまさらなこともやや思いはする。


そんな感じで本作も楽しんで視聴した次第である。
前作と違って主人公サイドの人間たちは強く、戦闘シーンは爽快ささえあると言ってもいいだろう。仲間も地元民だった博物館の人がかなり最後のほうで死ぬくらいとにかく頑丈である。
命の尊厳をとことん踏みにじる本作はやはり一種の寂しさと気持ちの良さがあるとは思う。
せいか

せいか