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ROOM237のtntnのレビュー・感想・評価

ROOM237(2012年製作の映画)
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再鑑賞
背景にある缶のラベルや一コマ分の雲の模様は、テクストの肌理として読み込むべきなのか。
解釈という言葉の代わりに、考察という言葉が使われている通り、この作り手たちは作品を批評したり、学術的に論じたりする気はないのだろう。キューブリックが残した「手かがり」を紐解くことにしか興味がない。
その点を踏まえれば、作品を論ずること、批評すること、新たな読みを展開すること、について考えるきっかけは間違いなく与えてくれる作品。




木を見て森を見ずという言葉がある。細部ばかり見て意見していても全体のことも考えなければトンチンカンな意見になってしまうよという意味だと思うけど、その意味で本作のキャスト達は森は見てないし、木すらも見れてない。地中に張ってる根っこだけに拘っているようなものだ。
『シャイニング』という映画史に残るホラー映画について自分なりの解釈を展開する人達を紹介するドキュメンタリー。はっきり言ってドキュメンタリーとしてそこまでクオリティは高くないし、BSの1時間ぐらいのスペシャルでやるような内容(高い金を払うほどでもないみたいな意味)だとは思うんだけど、こうした「個人の解釈」をあまりにも展開されるとついつい聞き入ってしまう。自分は文学部で、教授からは度々「文献は、理系にとっての実験のようなもの。細部にまで目を凝らしなさい。レポートを書くときは概観だけではなくて必ず引用もしなさい。」と言われる。この指摘から見ると、本作の語り手たちは一見合格だ。何せ、画面の端っこに映る缶の文字とか廊下に飾ってある絵画とかにまで注目しているからだ。いや「とかにまで」ではなく「とかばかり」と言った方が正しい。
彼らの意見があまり信用できないのは、「キューブリックは天才でIQ200」という考えが根底にあるから。キューブリックの作る画面は全て天才が頭の中で作り上げたもので、そこにはただのミスとか予算やスケジュールの都合みたいなものは存在しないと彼らは考えている。だから、ほんのちょっとした編集の違和感にすら意味を見出す。それを陰謀論と言い切るのは簡単だし、確かに頭おかしいだろと言いたくなる場面もあるのだけれど、一つの文学作品について分析したレポートを出したばかりの自分としては彼らと自分の違いがあまり説明できない。「キューブリックは天才」と思う人を笑う人は「キューブリックはミスもする普通の人間」と思っているだけであって、そのどちらも多分本当のキューブリック像は知らない。木だけを見るのは確かに変だけど森全体を概観するのって結構難しくないですか?ましてキューブリックの作る森なんて、彼のカリスマ性も含めて相当複雑で入り組んだ森だと思うし。
そうした作り手が作り出した迷路のような森の中で、迷い道を踏み外しながら気になった木を見つけ、それと全体を照らし合わせながら考察する過程でさらに森の深部へ迷い込んでいく。それこそが作品を味わうことの醍醐味なのだと、こんなチープなドキュメンタリーから何故か教わってしまった。
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