301 の拒食症の女と302の過食症の女が自身の身の上話をしていく
301 の拒食症にあたり
生活環境の悪化特に家庭環境
肉屋を経営まではいいが、母親は金が好きそうだ。父親は母親とのおせっせで飽き足らず娘にまで手を出す始末
その様な生活環境で両親の汚らしさが浮き彫りとなり拒食症に至る
302の件は
こっちは夫との性生活に不満を覚え妻として美味しいものを作り夫に認めてもらいたい一心で生活していたが、心のすれ違いで離婚
何処で満足するというよりも自身として質なのか⁇それともお金なのか⁇性なのか?
に自問自答しなくてはなりません
自分自身の心の自分に問いかけどうして生きたいのかになってくる
食と性は表裏一体それらを描いている作品で映像内で終わらせるのではなく自分自身としての生活環境はどうだったか⁇
今この世界でありふれているものと言ったらいろんな情報あり過ぎて情報処理し切れてないのでは?そしてよ〜く考えるのです。調べて自分には必要な情報は取り入れてそうでない情報は排除する
今までの📺情報を見てたのはなんだったの⁇に氣づくのです。
性に満足する生活にしろ、食に満足するにしろ欲と感情とお金がついて廻る
そういう世界にして来たのがカバール犯罪シンジケートであり知らずに洗脳され続けて来た民衆だからではないのでしょうか
感情と欲のコントロールをすること(バランスを取る)それだって自分自身でしかなく
善悪の自分がいるでしょうそこを自分の中で統合していくのがbestだ。
衝動は収まる時間はかかります。
そこは人それぞれですので、早くクリアする人もいれば、時間がかかる人もいる
最終的に遅かれ早かれ辿り着けば良いのでしょうか?
和多志は、だいぶ前ですが衝動は落ち着きました。
取り組んでみては如何でしょうか?
食欲と性欲について
女性が男性にもてなす料理を食べ至福感を得て男性は女性に対して性欲に変化し女性を満足させることをカバールは宗教状罪深い物にすり替えそれを信じ混まされて来た
食欲も性欲も互いの愛の名の下に愛し合うだけの事じゃないでしょうか?
もっと女性も男性も好きなら好きと互いを認め合い成立するものだと