KO

STAND BY ME ドラえもんのKOのネタバレレビュー・内容・結末

STAND BY ME ドラえもん(2014年製作の映画)
1.5

このレビューはネタバレを含みます

 素晴らしいCGだったし、感動する映画だった。これは疑いようがない。人よりはドラえもんが好きなことが確実である自分が胸を張っていうことができる。
 自分はのび太くんと同じように勉強もできないし、運動もできない。小学生から大学生の間にドラえもんが引き出しから出てきてくれたらなあと何度思ったことか。そしてその大学生の時に、寮の共用のテレビでこの映画を見ている後輩の傍で「スタンドバイミードラえもんか。クソ。」と呟いた男がいた。言うことに何のメリットがあるかわからない独り言でさえも日常的に発していたので、呟いていることをいちいち覚えてはいられなかったが「映画を観ている人に向かって、しかもドラえもんに対して何の愛もないような人間が言うことではないだろう」と怒りを覚えてしまい、当時の光景を今でもはっきりと思い出してしまう。
 ドラえもん好きを自負している私は彼よりも自分には映画を、そしてドラえもんに可能性を見出すことができる。そう思って観たがいいところは20字少々で簡単にまとめられてしまった。そして彼を軽蔑した浅はかな自分を恥ずかしく思った。
 「ドラえもん」には数々の感動的なシーンがあったが、この映画は残念だがそのつぎはぎでしかない。後半まではしずかちゃんとのび太くんの恋愛映画のようになっているが、ドラえもん世界の日常がカットされすぎているせいで、変態少年が意中の女の子を22世紀の技術で我が物にしようとしているように見える。そして友達や家族や動植物、宇宙人にさえも心から向き合い、ドラえもんや仲間たちとの友情を育んだのび太くんの日常が切り取られているせいで、ドラえもんトップクラスの名言であろうしずかちゃんのお父さんの言葉には何の説得力もない。この映画だけの描写では違う人物について話しているのではないかと思うほどだ。繰り返しになるが日常が大幅にカットされているせいでジャイアンはただの災害のような存在だし、スネ夫は準主役とは思えないほど出番が少ない。その一方で出木杉くんが準主役並の存在感になっている。これでは出て木杉くんであろうなどと思った。まあ他の映画では出番が少なかったのでいいのかもしれないが。(しかも振られたかのような演出まであった。名場面にそんな描写を勝手に付け足していいのだろうか。)カットされた部分を原作やアニメの記憶で補完すれば問題ないかもしれないが作風まで変わったこの映画ではそれはまず無理だろう。
 ところで切り取られた名場面は何によって繋げられているのだろうか。きちんと繋がっていないと言い張ればそれもそうかもしれないが、多くの場面において映画の中の独自設定が接着剤として使われている。映画なので原作通りとは行かないことは仕方がない。のび太くんのプロポーズ含め、ここは大目に見たい。だが、ドラえもんの未来への帰還の経緯やセワシのプログラミングに反した言動を試みると電流が流れる描写には小さい頃を思い出しながら「俺の、みんなのドラえもんになんて酷いことをするんだ!」と怒りを感じた。この無茶苦茶な独自設定に感情が昂り、ドラ泣きしかけた。こんな設定が認められるとはドラえもんをなんだと思っているのだろう。考えたくもない。
 ぐだぐだと長文を書いたが、短くまとめるとこれは「ぼくがかんがえた最高のドラえもん」でしかない。たしかに感動できる映画だが、都合よく編集された「ドラえもん」はドラえもんファンには受け入れられないだろう。
 
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