くまちゃん

イコライザーのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

イコライザー(2014年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

今作公開当時デンゼル・ワシントンは60歳を目前に控えていた。リーアム・ニーソンといい、ショーン・ペンといいハリウッドの実力派は還暦近くなると演技という静かな攻防から、素人目にもわかりやすく激しく緻密な殺陣でアクションスターとしてさらなる高みを目指す。ドニー・イェンやイコ・ウワイスやトニー・ジャーといった比較的若手の肉体を極限まで酷使したアクション映画は見応えも興奮も桁違いだ。老齢の役者はスタントマンや相手のリアクション、細かいカットを積み重ねた技術的な部分に頼るほかなくジャッキー・チェンで育った世代にとっては少し物足りないかも知れない。しかし、彼らはアクションを売りにしていない。拳や蹴りではなく、精彩に富んだ豊かな表現力を最大の武器とする。幾星霜、キャリアを重ねる事に堆積してきた唯一無二の渋みと深み。それは見様見真似で模倣することは不可能な言い知れぬ哀愁となって役者の魅力を底上げする。
ロバート・マッコールは物腰柔らかく、穏やかで優しく、面倒見が良くジョークにも通じ、周囲からの信頼も厚い。仏のような温厚な表情は一見人畜無害そうに見えるが、その瞳の奥は虚空に染まり闇の深さを物語っている。この究極のニヒリズムはデンゼル・ワシントンだからこそ出せる役者としての凄みと言える。

マッコールは毎晩行きつけのダイナーで持参したティーバッグで紅茶を飲みながら読書することが日課となっている。現役時代の過酷な経験とそこに緊結する妻の死。それはマッコールの心を黒く塗りつぶすには十分だった。結果不眠症となり、銃を置き本を手に取った。手にしているのは「老人と海」。ヘミングウェイによる最後のベストセラー。妻がやり残した「今読むべき100冊」読破の97冊目。なぜ読書をするのか?それは次に会った時の話のタネにするためとマッコールは語る。
娼婦テリーとの出会いは彼の人生を大きく変えてしまった。ぼろぼろになったテリーに心を痛め、元締めを19秒で壊滅させる。自分はどうしてあの時見過ごせなかったのかとスーザンに吐露する姿は人生に疲弊しているように見えてならない。誰よりも平穏を祈り、静かな暮らしを望むロバート・マッコールは己の死に場所を探していたのではないか。「今読むべき100冊」を読み切った後、彼は死ぬのではないか。そう考えると一マッコールファンとしては読み終わらないでほしいとつい願ってしまう。

マッコールはテリーに「老人と海」の結末を教える。老人は魚を釣り上げ船に縛り帰途につくが、魚の血に寄ってきたサメに魚は食い尽くされてしまう。
老人は人生の黄昏で最高の敵と出会い魚に自分を見た。戦うほどに敬意を覚えたのだ。マッコールは老人に自分を重ねる。彼はその人柄の良さから多くの人に好意的に受け入れられる。もともと人が好きなのだろう。だがどれほど友好的な交際をした所で他人にはなれない。自分の孤独を癒やすことも厭世的なアイデンティティを是正することもできない。それは気休めでしかなく、マッコールの幻想でしかない。

次に読み始めたのは「ドン・キホーテ」。自分が騎士だと信じてるが実際は騎士はいない世界。テリーは私と同じだという。彼女は若く娼婦として働いているが歌手になる夢を持っている。マッコールに渡したCDは自分で録音したものだ。デモテープを作るのはそれほど夢に真剣だからだろう。だがその環境は過酷過ぎた。毎日様々な客を取らされ時には暴力を振るわれ身も心も日に日に削り取られていく。自分の夢を信じる一方、その夢は叶わないと諦めている。
そんなテリーにマッコールは言う。君はなりたいものになれる。世界を変えろと。今の状況や環境が適切でなければそこを脱却する努力や覚悟が必要になる。それほど親しいわけではない。深夜のダイナーで良く顔を合わせるだけ。名前も知ったばかり。そんな相手に言われる言葉としてはかなり上から目線で反発心を抱く者もいるだろう。だがテリーはその言葉を受け入れた。恐らく彼女の夢に対してこれほど真摯に向き合ってくれる相手がいなかったのではないか。だからこそマッコールに懐いたのだ。客と会う前の癒やしとして。
またマッコールの自警行為は「ドン・キホーテ」を読み始めてからのことであり、少なからず影響を受けているのではないだろうか。彼はテリーの件以降、司法に頼らず己の手で悪を裁き始める。これは騎士道小説に魅了され、起こり得る全ての事象を冒険の一端であると思い込み騒動を巻き起こしたドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャことアロンソ・キハーノと通ずる。ただドン・キホーテと異なるのは英雄的活動を続ける一方、自分には正義の味方であるという認識はなく、むしろ英雄がいない事を知っているからこその行動である点だ。マッコールは英雄ではなく一種の神や仏の領域に向かっているように見える。だからこそ全ての罪人にはやり直す機会を与えている。だが赦すことは稀である。なぜなら人間の犯す過ちは業が深いから。その沼地にハマったものは容易には抜け出せず、目の前の敵を排除することで甘い汁を吸い続けようとする。その選択こそが本人にとって最大の過失であり、その日が命日として墓碑に刻まれることとなる。

夢に向かって日の当たる場所を歩む決意をしたテリーは別人のように爽やかだ。
娼婦を辞め、就職したのだ。マッコールに明るい報告をするテリーは嬉しそうでどこか寂しげでもある。生活リズムが変わればおそらく二人は今後会うことはなくなるだろう。話も聞納めだと儚げにこぼすテリー。自分で紡げる。その一言は短く簡素だが含蓄に溢れテリーの背中を強く後押ししたことは間違いない。

マッコールの同僚ラルフィは警備員にななることを目指している。そのためには食事制限やトレーニングなど人並な努力を要する。当初サンドイッチにポテチを挟んで食べたり弱音を吐いたりと意志の弱さが垣間見え、ラルフィが警備員になれると信じていた人間はラルフィ自身を含めいなかった。ロバート・マッコールを除いて。マッコールはそんなラルフィをコーチする。次第に自身とやる気が強まってきた矢先、ラルフィは突如として仕事を辞めた。ラルフィの実家でボヤ騒ぎがあったためだ。傷心の母親を手伝うためホームセンターを退職し己の目標も捨てた。
だがそのボヤ騒ぎは事故ではない。人為的なものだ。上納金の滞納に対して汚職警官が火を放ったのだ。それはマッコールの心にも静かなる炎を点灯するに至る。彼は人の夢を妨げる相手には特に厳しい。マッコールの裏でのアシストはラルフィの実家を救っただけではなく、ラルフィの人生を好転させた。警備員試験にパスし、以前働いていたホームセンターに戻ってくることができたのだ。
終盤におけるホームセンターでの戦いは、マッコールを孤独から連れ出す重要な責を担う。ラルフィはサボり癖がついていたが元々は優しく勇敢なのだ。でなければ食事制限を約束したマッコールの目の前でポテチを挟んだサンドイッチを食べようなどとは思わないはずだ。さらに警備員となり制服を着用したことで責任感と勇気が著しく強まり精悍な男へと成長を果たしたのだ。タイヤを引くトレーニングの際マッコールは言った。私が倒れていたら見捨てるのかと。実際は肩に担ぎ決して諦めなかった。あの何気ない場面が後半しっかり活かされている。人生に無駄なことなどなにもない。

心に傷を負った主人公は不眠症となり若い娼婦と出会う。これは「タクシー・ドライバー」を彷彿とさせクロエ・グレース・モレッツはジョディ・フォスターと重なる。ちなみにマッコールは次作ではタクシーの運転手(Lyft)にジョブチェンジしている。冒頭提示されるマーク・トウェインの言葉によれば人生でいちばん大切な日は生まれた日と生まれた理由がわかった日との事。マッコールは今作でのイコライザー、均衡を保つ存在として描かれる。ロバート・マッコールの生きる意味。それはシリーズを通して模索し探求していかなければならない大きなテーマなのである。
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