「障害者」の周辺とその内部を、脳性麻痺の主人公マテウシュ本人を語り手として描くことで、両者の間に広がる隔たりが浮き彫りになっていきます。
人間は何かを判別するとき、その多くを 視覚情報 に頼っています。
「目に見えることが全て」だと思ってしまうのです。
だから、マテウシュはソファの奥に入り込んでしまったものを取ろうと努力しているのに、母や周りの人間には癇癪を起こして暴れているかのようにしか見えない。しかも問題なのは、それが事実であるかのように思い込んでしまい、本人の気持ちを察するのをやめてしまうこと。
昨年12月に亡くなったコメディアンのステラ・ヤング氏がTEDで語った内容が思い出されます。
「障害者は感動ポルノとして消費されている」
「私は感動の対象ではない。1人の人間だ」
この映画は、マテウシュという1人のたくましき青年が、社会や周りの人間が作り出した偏見に立ち向かわんとする作品です。その姿はなんと美しく、なんと力強いことか。
障害者を題材にとった作品は数あれど、これほどまでに問題意識を孕み、また美しい作品は他にありません。秀作であると思います。
マテウシュを演じたダビド氏に、最大級の賞賛を込め、レビューを締めくくらせていただきます。