Solo1968

チョコレートドーナツのSolo1968のレビュー・感想・評価

チョコレートドーナツ(2012年製作の映画)
3.9
雨のシーンは一切無いのに、何故かずっと雨の中にいるようだ


これが
見終えた直後に思い書いているので、第一の感想。


そして、色々な方々のレビューなどは、これから参考にさせて頂き、なるほど!と気づかせてもらったりする前の本当のダイレクトな感想を今このタイミングで書くのが後から読み返しても良いと思い記録することにした。

役者さんの名前なども調べずに作品の中の登場人物の名称で勢いに任せ書き残してみよう。

○三人の主人公の中の一人である 
 ルディを演じた役者さんの演技力が凄まじく、ショーの場面における女装でなく、普段着で生活しているシーンでの視線や仕草、そして、何よりもマルコへの視線眼差し、彼のことを語る時の表情は、世の中の じょーしき である「女性の母親」にしか見えなかった。表情と仕草だけで、これを伝える演技力とは!?圧巻。
それだけに、早い段階から彼への偏見がすぐになくなり、自分の愛する子どもを守りたい という至ってシンプルな願い、、がしかし、女性ではなく、現実には男性であり まだまだ現代以上に厳しい差別の時代故に そのシンプルな願望を得る事は 極めて難解で、、キーワードのひとつでもある
ハッピーエンドを期待して見進められた。たった数十分で 彼の演技力であっさり自分の偏見が払拭された。


大きなテーマとしては、同性愛者に対する、認められない 許されない という壁、差別。

そして、邦題となっている
「チョコレートドーナッツ」が大好きな障害を持って生を受けた少年マルコに対する社会の差別。


これらの二つの 差別や偏見を 
同性愛者二人と障害を伴う一人の少年を結びつけ、そのどちらかですら、当人らにしか分からない社会との壁や差別、絶望感を

二つの大きく重たい差別問題に立ち向かう 美しき心と行動、そして、、、。

アメリカンニューシネマ?とても雑な表現だけど、アンハッピーエンド。

描かれているのは1979年だが、それは40年経過した今は何がどう変わったのか?

彼らは 解き放たれたのか?

最近見た心を揺さぶられた作品の「はじまりへの旅」と同じ
Bob dyran(The Bandのそれの方が僕には馴染み深いけど)の
「I shall be released」がエンディングを締め括る。

共にそれぞれがカヴァーでの演奏だが、本作は主人公が、どこかのバーで強くも見えるし無気力にも見える 目で問いかけるようでもあれば、訴えるようにも捉えられる 歌詞に出てくる原題の
「Any day now」

は僕の心に深く強く刻み込んだ。




 
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