HicK

チョコレートドーナツのHicKのレビュー・感想・評価

チョコレートドーナツ(2012年製作の映画)
4.9
《下手な脚本並みの狂った現実》

【MYベスト級作品】
劇場鑑賞当時、衝撃だった。映画として、問題提起として、秀逸。現実と照らし合わせて完成する作品。毎回、役者陣に魅了されると同時に最後にはいつも激おこぷんぷん。笑

【裁判中の自分のひとりごと】
主人公のルディへの質疑。
「あなたは子供の前で化粧しましたか?」
(…してもいいだろう。)
「あなたは子供の前で女装しましたか?」
(…何が問題なのだろう。)
「マルコが好きなおもちゃはお人形では?」
(…ルディたちに出会う前から抱きかかえていたが、何が問題なのだろう。)
「両氏のマルコへの愛情は明らかだが、同性愛を隠さない生き方が普通だと認識し、混乱を起こす可能性があるので保護下に置けない」
(…はい?なんの裁判?)

【 下手な脚本並みの理不尽な現実】
マルコが2人の愛情のもと健康に過ごせる環境であるかどうかの審議なのに、"同性愛という犯罪"を自供させる取り調べにすり替わる。下手な脚本で辻褄が合わず魅力を感じないヴィランが、実は現実に存在していたという衝撃。そして、本質を見ず"形"に囚われた人間たちが大切なものを犠牲にする瞬間。その判決が招いたとりかえしのつかない結末に悔しくて泣いた。

【今も変わっていない】
ちょっとレビューからは逸れて…。これは1970年代の話だが、悲しい事に(日本で言えば)重要な部分は現在も変わっていない。本質を見ずに形に囚われた最大の結果として、好き同士が結婚出来ないという問題は今も変わらず。

【異性婚と同性婚の何が違うのか】
彼らは趣味でマイノリティーになる事を選んだわけでは無い。同性同士では子供に悪影響を与えるから結婚できないのだろうか。子供が産めない人は結婚の権利が無いのか。両手を無くした者は子供とキャッチボールをしてあげられないから結婚できないのだろうか。視力が悪い者は子供の安全が十分に確保出来ないから結婚できないのだろうか。ブサイクな者は子供がイジメの対象になる可能性があるから結婚できないのだろうか。そんなことはない。ルディたちが置かれた理不尽な状況に湧き上がってきた感情は現実でも同様。どうしてもリンクしてしまう。

【やはり本質では無くカタチ】
記事で読んだ事があるが、日本で同性同士が結婚できない理由は禁じられているからでは無く、両者の呼称が"両性"となっているかららしい。その表現だけで、今でもそれを頑なに変えない姿勢からやはり本質より形を重んじる文化や、事なかれ主義を強く感じてしまう。結婚を容認する事でLGBTが増えると思っているのだろうか。ファッションじゃないんだから。(隠さずに生きれるようになる人は増えるとは思う)。きれいごとでは無く、未だに納得できる反対理由を聞いた事がない。異性婚にも共通するデメリットや、今作のように理不尽なものばかり。

【子供たち】
その問題を解決しないかぎりは、多様性を掲げていても「善人の顔」止まりに思ってしまう。同一の権利が無い時点でまだ土俵にも立っていない。大人の価値観に左右されるのは子供たちで、他者と異なる者がイジメの対象になってしまうが、イジメはダメといいつつ国でさえその個性を認めていないような状況。実際、その「事なかれ主義や形を守る事」が連鎖を呼び、今作同様、気づかぬうちに当事者たちの大切な命も失っているのだろう。もちろん、悩める者は隠しているのでマイノリティー問題としてのニュースにはならない。法を変える事が解決策では無いが、その後押しは大きい。もし自分の子供がマイノリティーだったら、生き辛さに心が痛くなる。

【総括】
過去一番怒りに震えた作品だったので、ちょっとレビューでは無く、この作品の怒りが現実世界に向いてしまったが、現実と照らし合わせて完成する作品でもあると思う。映画という「視野を広げてくれる娯楽」としての醍醐味があった。この映画を反面教師にする時代が早く終わって欲しい。こういう時代もあったんだよと語り合いたい。この作品はガシッとズッシリと問題を投げかけてくる大切な作品になった。人の価値観は変えづらいが、ルールだったら0か100かで変えられる。そこからどうにか。
HicK

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