せみ多論

チョコレートドーナツのせみ多論のレビュー・感想・評価

チョコレートドーナツ(2012年製作の映画)
4.5
時は1970年代。同性愛に対する世間の目が今と比べ物にならないほど厳しかった時代、というバックグラウンドで描かれた本作。

メインの登場人物は三人。ゲイのカップルであるルディとポール、そして母親がヤク中でムショにぶち込まれちまう十代半ばの少年マルコ。

施設に入れられるであろうマルコの保護をしたいルディとポール。しかしながら世間の目はゲイのカップルに対して優しいはずもなく理解もない。彼らは何とかマルコと暮らすために奮闘するが果たしてどうなるか。

中身は見ていただきたいので割愛。したいんですが印象に残った点をいくつかぽつぽつ。

まず一番はマルコ役のアイザック・レイヴァとルディ役のアラン・カミング、この二人の表情が最高にいい。マルコのニコッと笑った時の笑顔や、ルディの機微に富んだ表情はそれだけで作中に引き込まれるくらい見ごたえを感じました。

他に気になったのは、チョコレートドーナツは一体どういう役割なのか、ということです。
ヤク中で育児放棄気味の母親がマルコに朝食として与えていたものがドーナツ。マルコがいつも抱いているボロボロの人形とドーナツは彼の重要な要素だと感じます。
本作は血のつながりのないゲイのカップルとマルコが、本当の家族以上の関係を築いていくストーリーです。
言ってみれば、同性愛と同時に、家族とは何なのか、またもっと根本的な愛とは何か、血の繋がり以上の繋がりがあるんだということを描いている本作が、裏のテーマとして持ってきているのは、実は血の繋がりの大きさなのではないかなというような気がしました。

マルコはポールが用意した食事よりも、母が与えてくれていたようなドーナツを喜ぶし、同居した際にポール達からおもちゃを与えてもらうのですが(嬉しくて泣くほど彼は喜ぶのですが)彼が抱きかかえ常に持ち歩くのは、恐らくは母が与えたであろうボロボロの人形。

つまりマルコはポール、ルディたちと家族以上の絆を持ちながら、それでもやはり母との繋がりも絶たない(意識して絶たないということではないと思いますが)彼女がいかにヤク中のクズでも、実の親はやはり実の親なのだということなのかなと思いました。

つまりは、本作はマイノリティを一方的に讃辞したり、掲げ上げるようなものではなく、どちらもフラットな立場であるのが理想だということなんだといいたいのかなと。
血のつながりのある部分も、無い部分も両方を大切に抱えているのがマルコ自身である。その彼が最終的にああなってしまったことが、その時代の象徴であり、犠牲の表現なのでないかと思います。

音楽もとてもいいですし、自分の感想では、対立する構造を描きながら、どちらか一方を持ち上げるようなことはしない映画、思いやりがあるというか、懐が深いという印象でした。
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