QTaka

2つ目の窓のQTakaのレビュー・感想・評価

2つ目の窓(2014年製作の映画)
3.3
奄美の青い海に包まれた自然の中。
一歩前に踏み出そうとする若者と彼らを見守る大人たちの物語。
美しい南の島の風景に映し出されたのは、生きることの現実と、死んで行くことの真実だった。
人の命は、生きることと死ぬことの連続の中にあって、日々歩むことである。
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沖縄、琉球と言うと、何か別世界を見る思いになる。
確かに、北の端から見ている南の果ての島のことだから、気候も違う、食生活も、日常生活も違うし、風景も、海の色も違う。
日々を生きる上で最も異なるのは、めぐる季節だろう。
映画でも出てきた”台風”は、北の外れの島とは全く異なる存在なのだろう。
そして、風習だろう。”ユタ神様”という、生き神の存在は全く異世界の物語にしか見えない。
とにかく、そいういう彼の地の物語だ。
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とは言え、登場するのは多感な青春時代を迎えた少女と少年だ。
それぞれに家庭に思いを抱えている。
物語は、二人の関係と同時に、それぞれの家族への思いで綴られている。
この年ごろの常なのか、少女の方が一歩先を行っていて、男の子が迷いながら付いて行く体だ。
少年の家族への思いは、付きつ離れつする大人の恋愛模様を交えながら、母と息子を描いている。
一方の少女の方は、死に行く母親を前に、父の思い、少女の思い、母親自身の家族への思いを描いている。
そこには、死に行く者を囲む人々の姿すら描かれているのが印象的だ。
”神様”と呼ばれる存在だからこそ、と言うことも有るが、一方でこれがこの社会の人々の生き方なのだと思う。
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物語の背景で、終始聞こえてくる波の音、風の音、鳥のさえずり。
これらも、彼らが生きている場所をよく表している。
今、生きている場所を、耳を澄ませば、頬をなでる風を感じれば、しっかりと確認できる。
地に足を着けて、そこに根ざして生きている感じが伝わってくる。
時に、降り注ぐ陽光の下、穏やかに打ち寄せる青々とした水面を魅せ。
時に、荒々しく哮り狂った波が防波堤に打ち付ける。
夜の月光は、漆黒の水面を照らす。
頬をなでる風は、時にガジュマルの大木を揺らすほどの強風に豹変する。
海を渡り、山肌を吹き抜ける風の表情は、様々だ。
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神である母親がガジュマルの前で見せる仕草は、そこに命の存在を感じさせる。
生きているのは、人間ばかりではないのだと気付かせる。
何百年も生き続け、今ここにこの生命が有るのだと気付くと、その前に立つ存在のなんと小さなことか。
それでもなお、人間はこの地で生きているし、生き続けるのだろう。
風通しの良い家から望むガジュマル。
父と母と娘の日だまりの風景がまぶしい。
余命宣告された母親を前にして、その死と向き合う少女。
その家、その部屋、その場所が、神々しく想えてくる。
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少年、少女と海の関係が物語の中で変化して行く。
泳ぐ少女の姿は、美しかった。
というか、すごく泳ぎがうまかった。
まるで、水中を舞う人魚のように。
物語の終わりでは、二人で泳ぐ。
水の中の二人は、あるいは人である前に、生命であった。
その姿は、神々しくさえあった。
この物語が、生命のある場所、その姿を示してくれたことがよくわかるラストだった。
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吉永淳さん、かわいかった〜。
今は、阿部純子さんですね。
映画を見る前に、予告映像を見ながら、誰だっけ?と少し考えました。ま、ずいぶん若い頃の映画ですからね。
でも、彼女の演技には、今に繋がるものを感じました。
その瞬間に有る心の内をさらけ出す演技は、ハッとさせるものを持っていますね。
そんな阿部純子さんの演技のルーツに触れた一本でした。
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